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今治城・山里櫓

今治城・山里櫓

愛媛県今治市通町3丁目、今治城の三の丸西隅に再建されているのが、山里櫓。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、山里櫓は平成2年、市制70周年記念事業として建築されたもの。山里櫓は搦手(からめて=裏口)を守備する門です。

再建された三の丸隅櫓には、大砲狭間も配備

日本三大海城に数えられる今治城は、関ヶ原の合戦の軍功で今治を領有した藤堂高虎(とうどうたかとら)が築城。
築城の名手といわれる藤堂高虎は、瀬戸内海を巧みに利用した浮城を築城。
砂地に石垣を築くという困難さを克服し、本丸、二の丸、三の丸に19の櫓を建て、うち12棟が海に面していました。
三の丸鉄御門(くろがねごもん)を大手とし、門外の東町に組屋敷を配し、三の丸北門を搦手とし、城門を9ヶ所に配していました。

現存する内堀に囲まれた本丸、二の丸、三の丸の部分は海上から見ると海に浮んだ要塞のように見えたのです。

搦手を守備する要衝に位置する山里櫓は、2層の櫓ですが、上層部の窓と窓の間の下部に、もうひとつ窓のようなものが開いています。
これが珍しい大砲狭間(たいほうざま)。
ここから大砲をドンと射掛けるという設計になっていたのです。

据え置き型の大砲を配備したのではなく、抱え大筒(かかえおおづつ)か大鉄砲を放つための狭間で、四国では丸亀城天守にも設置されています。

今治城・山里櫓
名称 今治城・山里櫓/いまばりじょう・やまさとやぐら
所在地 愛媛県今治市通町3-1-3
関連HP 今治城公式ホームページ
電車・バスで JR今治駅からせとうちバス今治営業所行きで7分、今治城前下車
ドライブで 西瀬戸自動車道今治ICから約4.6km
駐車場 41台/有料
問い合わせ 今治城 TEL:0898-31-9233/FAX:0898-31-9235
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

今治城

慶長9年(1604年)、築城・縄張の名人、伊予半国20万3000石の大守・藤堂高虎(とうどうたかとら)により完成したのが今治城(いまばりじょう)。海上の要衝・来島海峡(くるしまかいきょう)に面した今治港の南、三重の濠に海水を引き入れた珍しい

今治城・勘兵衛石

愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城内で、もっとも巨大な石が、勘兵衛石。築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)によって慶長9年(1604年)に完成した今治城ですが、藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛が運んだと伝えら

今治城・鉄御門

愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城。今治城三の丸大手口にあたる門が、鉄御門(くろがねごもん)。今治城の土橋を渡った先、吹揚神社や天守への入口なので、人も車も24時間出入り可能となっています。平成19年に往時

今治城・藤堂高虎公像

愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城(現・今治城吹公園)。博物館となっている模擬天守前に立つのが、藤堂高虎公像(とうどうたかとらこうぞう)。関ヶ原の合戦後に今治を領有した藤堂高虎は、新たな居城として今治城を築

今治城・御金櫓

愛媛県今治市通町3丁目、今治城の二の丸東隅に再建されているのが、御金櫓(おかねやぐら)。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、御金櫓は絵図などを基に昭和60年にコンクリートで再建されたも

吹揚神社

今治市通町3丁目、今治城の本丸跡に鎮座するのが、吹揚神社(ふきあげじんじゃ)。明治維新後に今治城内の建築物はすべて破却されていますが、明治5年11月19日、本丸跡に市内の神明宮、蔵敷八幡宮、夷宮、厳島明神の4社を合祀して創建したのが吹揚神社

 

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