愛媛県西宇和郡伊方町三崎、東西に伸びる長大な佐田岬半島の付け根、佐田岬半島の最高峰・伽藍山(がらんやま/標高414.2m)の山頂にあるのが、伽藍山展望台。東西北が開けた山頂からは、四国、九州、広島県・山口県の山々を望む大パノラマが展開。四国霊場や西国霊場を模した石仏が並ぶ信仰の場にもなっています。
山頂には防空監視哨聴音壕の跡も
山頂にはテレビ局や無線局のアンテナが建つので、舗装道路が山頂直下まで通じ、立派な展望台が建っています。
展望台前の円形のコンクリート遺構は、三崎防空監視哨聴音壕の跡で、第二次世界大戦の末期、本土空襲が増加すると全国各地の遠望がきく場所に設けられた施設で、円形の壕内に人が入り、敵機来襲の爆音を感知し、地元の警察に伝えていました(空襲警報が発令されます)。
豊予海峡に臨み、豊予要塞のあった佐田岬半島には伽藍山のほか、遠見山に三机防空監視哨(みつくえぼうくうかんししょう)と伊方の3ヶ所に監視哨が配置され、警戒する拠点だったことがよくわかります。
長年にわたって藪の中に埋もれていたもので、町おこしを目的とした伽藍山の調査の際に「発見」された、当初は井戸と勘違いされたことも。
昭和12年に防空法が制定されていましたが(愛媛県下22ヶ所に監視哨を配置)、昭和17年4月18日、東京がアメリカ軍機によって爆撃され、空襲が現実になったことを全国的に知らしめました。
昭和19年、愛媛県内には松山、八幡浜、宇和島に防空監視隊本部が設置され、その配下に25ヶ所の監視哨が配されていました。
その監視哨のひとつ、三崎監視哨で、八幡浜防空監視哨とともに現存する遺構の中でももっとも保存状態が良いもの。
ここに詰めたのは軍人ではなく、国民学校や青年学校の生徒、卒業生らが動員され、食器や食料を持ち込んで24時間の監視を行なっていました。
アメリカ軍はどこに防空監視哨があったことかも熟知していたため、三崎防空監視哨は、八幡浜防空監視哨とともに空襲を受けてもいます。
伽藍山展望台 | |
名称 | 伽藍山展望台/がらんやまてんぼうだい |
所在地 | 愛媛県西宇和郡伊方町三崎 |
関連HP | 佐田岬観光公社公式ホームページ |
ドライブで | 松山自動車道(大洲道路)大洲北只ICから約52km |
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