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主税町長屋門

主税町長屋門

愛知県名古屋市東区、文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)のすぐ北にある典型的な武家屋敷門が主税町長屋門(ちからまちながやもん)。大扉の東側に門番の部屋、西側に納屋が往時のままに現存。中級武士(300石級の組頭)の屋敷の長屋門で、明治時代には第三師団長官舎の玄関として使われていました。

名古屋の城下町に唯一現存する武家屋敷門

残念ながら、中級武士の屋敷自体はすでになく、長屋門だけがぽつねんと残されています。
当時、武士の身分は厳格で、身分に準じた門を構えていました。
尾張藩では長屋門形式の門を構えることができたのは、100石から1万石未満の武士でした。

主税町(ちからまち)の名は、名古屋城築城にともなって城下町の機能がすべて移転したいわゆる「清洲越し」の時、勘定奉行・野呂瀬主税助(のろせちからのすけ=もとは武田家に仕え、武田家滅亡後、徳川の家臣に、初代尾張藩主・徳川義直のもとで勘定奉行兼材木奉行に就任)が初めて屋敷を構えたことに由来しています(屋敷跡地は、現在のカトリック主税町教会)。

主税町は、300石級の尾張藩の中級武家の屋敷が並んでいた場所で、明治以降は文明開化とともに平均600坪〜700坪程度という広さを活かし、輸出向けの陶磁器産業の中心地として発展していきます(近くに輸出陶磁器商・井元為三郎の邸宅を再生した「文化のみち橦木館」、名古屋陶磁器会館があるのもそのため)。
大正から昭和初期にかけては、陶磁器関係の貿易商の他に、名古屋を代表する財界人などが多く移り住むようになり、美しい和風住宅や近代洋風建築が建ち並んだのです(旧豊田佐助邸、旧春田鉄次郎邸などが現存、現在も門・塀と緑樹からなる屋敷景観と戦前の優れた近代洋風建築が建ち並ぶ美しい町並みを形成)。

江戸時代以来の武家屋敷跡の地割りを残した白壁町筋、主税町筋、橦木町筋を中心とした14.3ha は、「白壁・主税・橦木町並み保存地区」に指定され、城下町散策にも絶好の地となっています。

主税町長屋門
名称 主税町長屋門/ちからまちながやもん
所在地 愛知県名古屋市東区主税町4-72
関連HP 名古屋市公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄桜通線高岳駅から徒歩10分
駐車場 なし
問い合わせ 名古屋市観光文化交流局文化歴史まちづくり部TEL:052-972-2779/FAX:052-972-4128
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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