文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)

「日本の女優第1号」といわれる川上貞奴(かわかみさだやっこ)が女優引退後、電力王と呼ばれた福澤桃介とともに暮らしていた邸宅を移築保存したもの。大正2年に「名古屋電燈」の取締役に就任した福澤桃介は木曽川の電源開発に着手するが、その大事業の拠点となったのが「二葉御殿」といわれた邸宅です。

「日本の女優第1号」川上貞奴ゆかりの邸宅

【なごや歴まちネット】(名古屋まちづくり公社) 文化のみち二葉館




名古屋市東区橦木町(しゅもくちょう)に現存する建物は、洋風住宅の専門会社「あめりか屋」が大正9年に建築。

川上貞奴は当時、川上絹布(東大曽根の六郷村=現在の名古屋市北区上飯田に開業した絹布会社)の経営者で事業のパートナーという側面もあったのだとか。

「二葉御殿」はゲストハウスとしても機能し、その気品ある雰囲気は車寄せなどにも残されています。
もともとは東二葉町あったため「二葉御殿」と呼ばれたのですが、保存のために現在地に移築され平成17年に「文化のみち二葉館」として開館。
建物も国の登録文化財になっています。

川上貞奴と福澤桃介のロマンスの地

明治4年に日本橋の両替商・越後屋に生まれた小山貞奴は、生家の没落で7歳の時に芳町(よしちょう=日本橋人形町にあった花街)の芸妓置屋「浜田屋」の女将、浜田屋亀吉の養女となり貞奴を襲名。
伊藤博文なども贔屓(ひいき)にする日本一の芸妓にまで成長します。

「オッペケペー節」で一世を風靡した川上音二郎と結婚し、明治32年、川上音二郎一座のサンフランシスコ公演で女形が死亡したための代役で出演し、「日本初の女優」となりました。

ロンドンの公演では一世を風靡し、「マダム貞奴」の名が轟いています。

明治44年に川上音二郎が死ぬと、数年後に女優をやめ、大正7年、東大曽根の六郷村に「川上絹布株式会社」を設立、輸出向け最上級の絹を生産販売しました。

大正9年頃に福澤桃介と「二葉御殿」で同棲を開始。昭和13年に福澤桃介が没するまで、電力王のサロン的な存在となっていました。
当時、福澤桃介は木曽川の電源開発を進めていました。また名鉄のルーツのひとつである愛知電気鉄道にもかかわっています。

昭和21年、川上貞奴は、熱海の別荘で没。岐阜県各務原市の貞照寺(ていしょうじ=川上貞奴が私財を投じて創建)が墓所。
川上貞奴、福澤桃介のロマンスは昭和60年のNHK大河ドラマで『春の波涛』(貞=松坂慶子・川上音二郎=中村雅俊・福澤桃介=風間杜夫)の名でドラマ化されています。
原作は杉本苑子の小説『冥府回廊』、『マダム貞奴』。


「日本の女優第1号」川上貞奴

木曽川の電源開発に尽力した福澤桃介

文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)
名称 文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)/ぶんかのみちふたばかん(きゅうかわかみさだやっこてい)
所在地 愛知県名古屋市東区橦木町3-23
関連HP 文化のみち二葉館公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄桜通線高岳駅から徒歩10分
駐車場 10台/30分まで無料、以降有料
問い合わせ 文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸) TEL:052-936-3836/FAX:052-936-3836
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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