成田山貞照寺

貞照寺

岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町にある真言宗智山派の寺、成田山貞照寺(ていしょうじ)。昭和8年10月28日、日本最初の女優といわれる川上貞奴(かわかみさだやっこ)が創建した寺で、川上貞奴霊廟があるほか、貞奴縁起館では、川上貞奴ゆかりの品、遺品が展示されています。

日本の女優第一号・川上貞奴の菩提寺

貞照寺
不動明王を祀る本堂

川上貞奴は12歳の時、養母の大病に際して、成田山新勝寺を参詣し、水垢離(みずごり)して病気平癒を祈願したところ病が快癒したことから、成田不動を尊崇していました。
62歳となった川上貞奴は、昭和8年、当時「日本ライン」(大正2年、志賀重昂が命名)と呼ばれた木曽川に面した風光明媚な地に大規模な別荘「萬松園」(現・迎賓館サクラヒルズ川上別荘/国の重要文化財「萬松園」は予約で見学可能)を建設、その近くに貞照寺を建立しています。

貞照寺の建設費は35万6000円、現在の貨幣価値に換算すると25億という資産を投入し、6000坪の境内に本堂、鐘楼堂、仁王門、御手水舎、庫裏(くり)を建てたのです。
施工は初代が名古屋城の築城に関わったという、尾張国の工匠の棟梁の名跡・伊藤平左衛門(10世・吉太郎)で、本堂の胴羽目板には貞奴自身の不動明王霊験記が彫刻されています。
この彫刻は大正・昭和に活躍した名工・金子光清の作。
刻まれた本尊の不動明王像は「祈りの仏師」・小川半次郎の遺作となるもの。

「日本ライン」沿いの鵜沼(うぬま)に別荘を建てたのは、夫・川上音二郎(かわかみおとじろう=「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師で新派劇の創始者、明治32年の渡米興行で、妻・貞奴が注目され、「日本初の女優」といわれるように)と死別後、晩年、電力王として名高い福澤桃介(ふくざわももすけ=福澤諭吉の婿養子)と名古屋に「二葉館」(現・文化のみち二葉館)を建て暮らしていたから。
福澤桃介は、日露戦争後の株式投機で利益を挙げ、明治末に名古屋電灯を買収して社長となり、上流の八百津発電所など木曽川の水力開発を手がけているため、鵜沼一帯に土地勘があったのです。

昭和21年12月7日に 川上貞奴が死去した後は、一時期荒廃していましたが、昭和35年に成田山名古屋別院の管理する成田山貞照寺となり(川上貞奴は成田山を信仰)、復興しています。

杉本苑子の小説『冥府回廊』、『マダム貞奴』を原作とする昭和60年のNHK大河ドラマ『春の波涛』(はるのはとう)で、松坂慶子が川上貞奴を演じて以降、貞照寺も注目を浴びるようになっています。
「マダム貞奴」にあやかり諸芸上達、芸事成就を願う芸能人などの参拝が多いのも特徴。

成田山貞照寺
名称 成田山貞照寺/なりたさんていしょうじ
所在地 岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町5-189
関連HP 成田山貞照寺公式ホームページ
電車・バスで JR鵜沼駅、名鉄新鵜沼駅からタクシーで10分
ドライブで 東海北陸自動車道岐阜各務原ICから約14km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 成田山貞照寺 TEL:058-384-0202
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)

「日本の女優第1号」といわれる川上貞奴(かわかみさだやっこ)が女優引退後、電力王と呼ばれた福澤桃介とともに暮らしていた邸宅を移築保存したもの。大正2年に「名古屋電燈」の取締役に就任した福澤桃介は木曽川の電源開発に着手するが、その大事業の拠点

 

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