お助け小屋

お助け小屋

岐阜県高山市高根町野麦、飛騨(岐阜県北部)と信州(長野県)の国境に位置する野麦峠。かつての野麦街道の峠越えの道は、岐阜県道・長野県道39号(奈川野麦高根線)となっていますが、峠周辺には旧道や、峠の茶屋であるお助け小屋も現存。休憩や食事に利用することができます。

野麦集落の古い民家を移築し、茶屋として営業

野麦峠の野麦とは、峠に生えるスズタケ(クマザサ)のこと。
雪深く、風の強い野麦峠は、厳しい気象を反映して、峠周辺はクマザサに覆われています。
飛騨と信州を隔てる北アルプス(飛騨山脈)の一角で、当時は唯一といえる峠越えの道でしたが、ここで力尽きる旅人も多かったことから、天保12年(1841年)、お助け小屋が開設されたのです。
飛騨の少女たちが、「糸ひき稼ぎ」のために諏訪の製糸工場に向かった道もこの野麦峠で、工女たちもこのお助け小屋で休んだのです。

現在のお助け小屋は、昭和45年に野麦峠の麓、野麦集落の古い民家を移築再生したもの。
例年5月〜11月上旬の間、営業し、山菜や季節折々の地の物を使った素朴な料理が提供されています。
飛騨の土産も販売。

映画『あゝ野麦峠』とお助け茶屋

映画化された『あゝ野麦峠』(監督:山本薩夫、原作は山本茂実のノンフィクション小説)でも主人公・政井みね(大竹しのぶ)が、兄・辰次郎(地井武男)に背負われて野麦峠に辿り着いた明治42年11月20日、「ああ飛騨が見える、飛騨が見える」とうれしそうに言って息を引き取ったシーンが話題を呼びました(実際には、片倉財閥は、工女向けの温泉保養施設「片倉館」を建設するなど、農耕作業に従事するよりは重労働ではなかったともいわれますが、政井みねの働いた山一林組など工女たちの多くは劣悪な環境で働きながら、海外貿易の柱となる生糸生産を支えていました)。
「お助け茶屋」も老婆(北林谷栄)が守る峠の茶屋として登場しています。

お助け小屋
名称 お助け小屋/おたすけごや
所在地 岐阜県高山市高根町野麦
関連HP 高根村観光開発公社公式ホームページ
ドライブで 中央自動車道伊那ICから約54km。中部縦貫自動車道(高山清見道路)高山ICから約58km
駐車場 20台/無料
問い合わせ お助け小屋 TEL:0577-59-2409
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
野麦峠

野麦峠

岐阜県(高山市)と長野県(松本市)の県境に位置するかつて国境(飛騨、信州)の峠が野麦峠。標高は1672.5mで、古来、野麦街道最大の難所でした。明治時代、生糸産業で栄えた諏訪へ、飛騨から女工が峠を越え、山本茂実の小説『あゝ野麦峠』、その映画

野麦峠の館

野麦峠の館

岐阜県高山市高根町野麦、飛騨(岐阜県北部)と信州(長野県)の国境に位置する野麦峠。かつての野麦街道の峠越えの道は、岐阜県道・長野県道39号(奈川野麦高根線)となっていますが、その野麦峠に建つ、全国唯一の峠をテーマにしたミュージアムが野麦峠の

 

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