愛知県知多郡南知多町の大井漁港入口の磯に建つのが弘法大師像。ここが、弘法大師上陸地という伝承の地。空海(弘法大師)は弘仁5年(814年)、諸国行脚の途中に(空海41歳の時)三河から船で大井浜に上陸したと伝えられているのです。裏付けはないので、正確には伝・弘法大師上陸地となります。
昭和59年に建立された弘法大師像が立つ
知多半島には百日修行を行なったと伝えられる岩屋寺(南知多町山海)を筆頭に、弘法大師を祀る寺などゆかりの寺が各地にありますが、大井漁港の沖に浮かぶ二子島に立てられた弘法大師上陸像を眺める聖崎の磯には上陸地の碑も立てられています。
伝承では、聖崎に上陸した空海は、医王寺に滞在したのだとか。
弘法大師上陸像は、昭和59年、空海(弘法大師)1150年御遠忌で建立されたもの。
知多四国八十八ヶ所霊場があり、知多半島一帯は「巡礼の地」として知られるのは空海上陸の伝承と、四国に似た温暖で風光明媚な土地があったから。
知多四国八十八ヶ所霊場は、文化6年(1809年)、妙楽寺(知多四国霊場七十九番/知多市)の第13世・亮山阿闍梨が夢告で開創したもので、近世以降の巡礼の地。
空海は本当に知多半島に来た!?
民俗学者・柳田国男は全国各地に残る空海伝承について、水のなかった土地に赴き、杖の先で水を出したという伝承が各地にあり、東日本では大抵は弘法井、または弘法池と名がついていると解説しながら、
「ここでまず最初に、われわれが考えて見なければならぬのは、それがほんとうに弘法大師の僧空海であったろうかということであります。広い日本国中をこの通りよく歩き廻り、どこでも同じような不思議を残して行くことは、とても人間わざでは出来ぬ話でありますが、それを神様だといわずに、なるべく誰か昔の偉い人のしたことのように、われわれは考えて見ようとしたのであります。それには弘法大師が最もその人だと、想像し易かっただけではないでしょうか」(『日本の伝説』)と記しています。
知多半島の空海伝承に関しては、三谷温泉など、知多に渡る前の三河側にも伝承があるので、真言宗などの高僧が布教にやってきたのかもしれません(ただし、空海の時代は、僧侶は国家公務員的な立場にあり、民間に布教するという活動は行なっていません。民衆に対する仏教の本格的な影響は、平安時代末期以後の念仏僧による教化以降です)。
ただし、宗教評論家のひろさちや氏に空海伝承に関して確認すると、
「空海はスーパースター、時間と空間を超越した存在」とのこと。
京にいたはずなどと推測するのは野暮なことなのかもしれません。
弘法大師上陸地 | |
名称 | 弘法大師上陸地/こうぼうたいしじょうりくち |
所在地 | 愛知県知多郡南知多町大井 |
電車・バスで | 名鉄河和線名鉄河和駅より知多バス師崎港行きで17分、大井下車、徒歩20分 |
ドライブで | 南知多道路豊丘ICから約3km |
駐車場 | 聖崎駐車場(30台/無料) |
問い合わせ | 南知多町建設課 TEL:0569-65-0711/FAX:0569-65-0694 |
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