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大和雪原開拓者(白瀬矗)の墓

明治43年11月29日に「開南丸」で芝浦埠頭を出航した白瀬矗(しらせのぶ)は、南緯80度5分の地点に到達して大和雪原(やまとゆきはら)と命名。晩年は愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の次女の部屋で生活し、昭和21年9月4日に腸閉塞で没しています。遺族が吉良町に移住したため「大和雪原開拓者之墓」は西尾市にあります。

南極探検隊長・白瀬中尉の墓は愛知県西尾市吉良町に!

西林寺に近い瀬門神社境内に、「初代しらせ」のスクリューブレード、「南極探検隊長・大和雪原開拓者之墓」、その左側が「南極探検隊長墓碑建立の由来」が立っています。

白瀬矗中尉没後の昭和22年、ヤス夫人、次女タケコさん、孫・喜子さんの3人が、生活に困窮しているという窮状を伝え聞いた当時の吉良町長・柵木佐太四郎(初代吉良町長)は、住まいを西林寺に、そして教員免許状をもっていたタケコには横須賀中学校の講師の職を世話しています。
その縁で、白瀬家は、本籍を金浦町から吉良町へ移し、遺骨を西林寺に埋葬したのです。

その後、昭和33年、吉良町史蹟保存会が「南極探検隊長大和雪原開拓者之墓」を建立、吉良町も墓域の整備を進めました。
平成の大合併で平成23年4月1日、吉良町は西尾市・一色町・幡豆町と合併し、西尾市になりましたが、白瀬中尉の生まれ故郷の秋田県にかほ市と、没地の西尾市は姉妹都市になっているのです。

大和雪原開拓者(白瀬矗)の墓
名称 大和雪原開拓者(白瀬矗)の墓/やまとゆきはらかいたくしゃ(しらせのぶ)のはか
所在地 愛知県西尾市吉良町瀬戸
電車・バスで 名鉄西尾線上横須賀駅から徒歩30分
ドライブで 東名高速道路音羽蒲郡ICから約23km。伊勢湾岸自動車道豊明ICから約25km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 西尾市商工観光課 TEL:0563-56-2111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

埠頭公園(白瀬中尉南極探検出発の地)

2020年7月11日

 

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