埠頭公園(白瀬中尉南極探検出発の地)

埠頭公園(白瀬中尉南極探検出発の地)

東京都港区海岸3丁目にある港区立公園が埠頭公園。現在は埋め立てられていますが、ここが明治43年、白瀬中尉が芝浦から204tの木造船「開南丸」で日本初の南極探検に出発した場所なのです。それを記念して公園内には開南丸を模した船の木製遊具や南極大陸を表した滝と池などがあります。埠頭少年野球場は、日本プロ野球発祥の地。

開南丸のレリーフとペンギン像が立つ

8935平方メートルというさほど大きくない児童公園ですが、開南丸のレリーフとペンギン像のある記念碑、「開南丸」を模した船の複合遊具、じゃぶじゃぶ池、砂場、シーソー、スイング遊具、滑り台、水飲み場、トイレ、そしてナイター設備のある埠頭少年野球場が備わっています。
また、南極観測船「しらせ」(初代/昭和56年進水、平成20年退役)のスクリュープロペラのブレード(羽根)が保存展示されています。

白瀬矗中尉の南極探検

埠頭公園(白瀬中尉南極探検出発の地)

白瀬矗(しらせのぶ)中尉は、イギリスの王立地理学会から支援を受けたロバート・スコット(Robert Falcon Scott)をライバルに、南極探検の費用補助を帝国議会に建議するものの、結局、3万円しか補助されず、国民の義援金で充当して南極探検に乗り出します。
木造の帆走漁船に中古の蒸気機関を取り付けた改造船には、東郷平八郎が「開南丸」と名付けています。
明治43年11月29日、「開南丸」は芝浦を出港(芝浦埠頭は昭和7年完成で、東京港には関東大震災前には埠頭がありませんでした)。
南緯80度5分の地を大和雪原(やまとゆきはら)と名付けて明治45年6月20日、芝浦に帰還しています。
白瀬矗中尉ゆかりの地としては、郷里の秋田県にかほ市に「白瀬南極探検隊記念館」、南極公園、愛知県西尾市吉良町に「南極探検隊長 大和雪原開拓者之墓」の墓碑があります。

埠頭公園(白瀬中尉南極探検出発の地)
名称 埠頭公園(白瀬中尉南極探検出発の地)/ふとうこうえん(しらせちゅういなんきょくたんけんしゅっぱつのち)
所在地 東京都港区海岸3-14-34
関連HP 埠頭公園公式ホームページ
電車・バスで JR田町駅から徒歩15分
問い合わせ 芝浦中央公園 TEL:03-6433-2562
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

白瀬南極探検隊記念館

白瀬矗(しらせのぶ)中尉は出羽国由利郡金浦村(現・秋田県にかほ市)の浄蓮寺の長男として1861(文久元)年に生まれ、11歳のとき、蘭学者佐々木節斎から「北極」の話を聞き、探検家を志します。千島探検、南極探検を行ない、南極に大和雪原の名を残し

南極公園

秋田県にかほ市にあり、白瀬矗(しらせのぶ)の南極探検の偉業を後世に伝える白瀬南極探検隊記念館の前に広がる公園。建物中央には氷山をイメージするオーロラドームなどが配され、その前には南極を模したという南極公園があり、春には桜が美しく咲き誇ります

大和雪原開拓者(白瀬矗)の墓

明治43年11月29日に「開南丸」で芝浦埠頭を出航した白瀬矗(しらせのぶ)は、南緯80度5分の地点に到達して大和雪原(やまとゆきはら)と命名。晩年は愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の次女の部屋で生活し、昭和21年9月4日に腸閉塞で没してい

埠頭少年野球場(日本プロ野球発祥の地)

埠頭少年野球場(日本プロ野球発祥の地)

東京都港区海岸3丁目にある埠頭公園に併設される野球場が埠頭少年野球場。埠頭公園は、明治43年、白瀬矗(しらせのぶ)中尉が南極探検に出立した地でもあるのですが、大正9年に日本運動協会(芝浦協会)として日本最初のプロ野球が発足した場所でもあり、

 

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