愛知県常滑市金山にある中世の城の跡が大野城。昭和54年に模擬天守が造られ、一帯は城山公園として整備されています。戦国時代、大野城主で織田信長配下の佐治一成(さじかずなり)は、浅井三姉妹のお江(後の徳川秀忠・正室、崇源院/NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』ヒロイン)を妻にしています。
お江が11歳で最初に嫁いだ佐治一成の居城
観応年間(1350年~1351年)、三河の吉良荘一色(きらしょういっしき=現・愛知県幡豆郡一色町)をルーツとする三河国守護の一色範氏(いっしきのりうじ)の子、一色範光(いっしきのりみつ=三河国守護)が大野湊に近い丘に築いた中世の平山城。
大野湊は知多水軍や水運の拠点として重要な地だったので、その大野湊を掌握するため築いた城でした。
応仁の乱後、一色氏は衰え、大野城は尾張守護の土岐氏が領有、佐治氏が4代にわたって戦国時代まで城主となっています。
佐治氏率いる佐治水軍は伊勢湾の海上交通を握っていたため、尾張を統一した織田信長も3代・佐治信方(さじのぶかた)を味方に付けています。
佐治信方は、信長の子、織田信忠に従って、伊勢長島攻めに加わりますが、22歳の若さで戦死。
幼少で家督を相続した佐治一成(一成の父・信方の妻は織田信長の妹・於大)は天正12年(1584年)、15歳の時、羽柴秀吉の命で小谷城から救出されたお江(浅井三姉妹の三女、姉は茶々=淀、お初)を妻に迎えていますが(お江は11歳でした)、すぐに小牧・長久手の戦いで徳川家康に便宜を図ったとして大野を追放となり、お江ともわずか3年で離縁しています。
お江の母は織田信長の妹・お市なので、佐治一成とお江は従兄弟(いとこ)という親戚関係。
その後、城主として信長の弟・織田長益が入城していますが大草城を築き、大野城は廃城になっています(佐治氏は没落しますが、お江は、三度目の結婚で2代将軍・徳川秀忠の正室に)。
現在は、城跡近くまで青海山団地が迫り、主郭部に城山公園が整備され、模擬城門、模擬天守として展望台が造られています。
戦国時代の平山城のため、往時には天守はなかったので、あくまで観光用の模擬天守です。
櫓が建っていた櫓台跡には城主だった佐治氏を祀る佐治神社が鎮座しています。
常滑市観光協会大野支部では名鉄常滑線大野町駅を起点にお江ゆかりの地を訪ねる散策路(全長4km、1時間30分)を設置、地図なども用意されています。
大野城(城山公園) | |
名称 | 大野城(城山公園)/おおのじょう(しろやまこうえん) |
所在地 | 愛知県常滑市金山城山3 |
関連HP | 常滑市公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄西ノ口駅から徒歩15分 |
ドライブで | 知多横断道路常滑ICから約4.5km |
駐車場 | 城山公園南入口(23台/無料)・城山公園北入口(11台/無料) |
問い合わせ | 常滑市都市計画課 TEL:0569-35-5111/FAX:0569-35-5642 |
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