愛知県新城市、新城市設楽原歴史資料館近くにある塚。信玄塚と名が付いてはいますが、天正3年5月21日(1575年6月29日)の長篠・設楽原の戦い(長篠の戦い)の時にはすでに武田信玄は亡くなっています。信玄原(武田軍主陣地)の塚で信玄塚と呼ばれていますが、塚は長篠・設楽原の戦いの戦没者を村人が葬ったもの。
実は長篠の戦いの戦没者を埋葬した塚
大塚と小塚の2つの塚があり、大塚は戦死者1万という武田方で、小塚は6000人の織田・徳川方とも伝わっていますが定かでありません。
ちなみに武田信玄は野田城攻略後に持病が悪化し、元亀4年4月12日(1573年5月13日)、軍を甲斐に引き戻す途中、三河街道上の信濃国駒場(長野県下伊那郡阿智村)で没したとされ(没地については諸説あります)、長篠の戦いはその2年後のこと。
名称 | 信玄塚/しんげんづか |
所在地 | 愛知県新城市竹広信玄原552 |
関連HP | 新城市公式ホームページ |
電車・バスで | JR飯田線三河東郷駅から徒歩15分 |
ドライブで | 新東名高速道路新城ICから約2km |
駐車場 | 新城市設楽原歴史資料館駐車場(100台/無料) |
問い合わせ | 新城市設楽原歴史資料館 TEL:0536-22-0673 |
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