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恵比寿海水浴場(吉良ワイキキビーチ)

恵比寿海水浴場

吉良温泉にある海水浴場の一つで、三河湾に突き出した蛭子岬(えびすみさき)の東に広がる汀線310mの浜が恵比寿海水浴場で隣の宮崎海水浴場と吉良ワイキキビーチを形成しています。遊歩道と海浜緑地が整備されるほか、西端には蛭子社、万葉歌碑があります。海水浴場は7月1日〜8月31日に開設され、遊泳以外は禁止になっています。

蛭子岬の東に広がる美しいビーチは吉良ワイキキビーチの一部

江戸時代の後期から明治時代には海水浴ならぬ、「潮湯治」が行なわれた旧宮崎村。
「潮湯治」は1日に数回海水に浸かり、それを1週間ほど続けることによって諸病を治すという湯治方法。
愛知県では大野海水浴場(現・常滑市)などが「潮湯治」では有名でしたが、風光明媚な宮崎海岸も「潮湯治」が行なわれていました。
明治37年の『幡豆郡史』には「遙かに渥美知多の両半島に対し風景絶佳、古来、海水浴を以て名あり」と記されているので、すでに明治後期には海水浴場として名が知られるようになっていたのです。

地元の漁業関係者の信仰がある蛭子社が鎮座する蛭子岬が名の由来の恵比寿海水浴場。
岬に立つ万葉歌碑には、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の孫・藤原宇合(ふじわらのうまかい)の詠んだ、「暁の 夢に見えつつ 梶島の 石越す波の しきてし思ほゆ」が刻まれています。

神亀元年(724年)3月の蝦夷(えみし)反乱の際に、持節大将軍に任命されて反乱を鎮圧のため東征。
行軍途中で幡頭神社(はずじんじゃ)に戦勝祈願した際に読んだ歌と推測されているのです。

また、江戸時代に日本で最初の測量地図を作成した伊能忠敬が享和3年(1803年)4月16日に宮崎村の運光院に宿泊し、長縄を使って船で西浦村から宮崎村にかけての一帯の海岸線を測量したことが日記に記されています。
この運光院(三河三十三観音霊場第22番札所)も幡頭神社ともども、恵比寿海水浴場の背後に現存しています。

蛭子岬に建つ蛭子社
藤原宇合の万葉歌碑
恵比寿海水浴場(吉良ワイキキビーチ)
名称 恵比寿海水浴場(吉良ワイキキビーチ)/えびすかいすいよくじょう(きらわいききびーち)
開設 7月1日〜8月31日
所在地 愛知県西尾市吉良町宮崎
関連HP 西尾市観光協会公式ホームページ
駐車場 300台/海水浴場開設期間は有料
問い合わせ 西尾市観光協会 TEL:0563-56-2111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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