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源徳寺・吉良仁吉の墓

吉良仁吉の墓

愛知県西尾市吉良町にある真宗大谷派の寺、源徳寺。その墓地にあるのが、吉良仁吉の墓(きらのにきちのはか)。清水次郎長の兄弟分だった侠客(きょうかく)の吉良仁吉は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)、荒神山の喧嘩(血闘)で没(享年28)。

墓は吉良仁吉一周忌に清水次郎長が建立

三州・吉良に没落武士の子として生誕した仁吉は、18歳から3年間を清水次郎長の元で過ごし、故郷に戻って吉良一家を興しています。
穴太の徳次郎(あのうのとくじろう)が、次郎長一家が世話をした神戸長吉(かんべのながきち=伊勢の吉五郎)の縄張りだった荒神山(こうじんやま/現・鈴鹿市高塚町観音寺)を奪ったことで起こった伊勢の侠客同士の縄張り争いが、荒神山の喧嘩(血闘)。
吉良仁吉は、寺津(現・西尾市)から四日市湊へ海路移動し、決闘に。

吉良仁吉は後世、講談、浪花節(浪曲)、演劇、映画などに取り上げられて有名になっていますが、創作された話も多く、必ずしも史実とはいえません。

吉良仁吉が鉄砲に撃たれ、さらに切りつけられたことで、清水次郎長は東海道の博徒480余名を動員し、海路、神社湾(かみやしろわん)に2隻の船を乗り付けますが、相手方が謝罪したため、和議となっています。

源徳寺にある吉良仁吉の墓は、一周忌に清水次郎長が建立したと伝わり、毎年6月第1日曜には吉良仁吉を偲んで『仁吉まつり』が開催され、仁吉が使ったと伝えられている三度笠などの遺品が公開されています。

源徳寺・吉良仁吉の墓
名称 源徳寺・吉良仁吉の墓/げんとくじ・きらのにきちのはか
所在地 西尾市吉良町上横須賀寒破池127
関連HP 西尾市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 名鉄上横須賀駅から徒歩10分
問い合わせ 源徳寺 TEL:0563-35-0123
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

仁吉まつり|西尾市

毎年6月第1日曜、愛知県西尾市吉良町で『仁吉まつり』が開催。幕末の侠客(きょうかく)で清水次郎長とは兄弟分だった吉良仁吉(きらのにきち)を偲ぶイベント。仁吉の墓前祭に始まり、野点接待、供物接待、吉良小唄保存会などの民謡パレードが行なわれます

 

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