秋田県湯沢市稲庭町、稲庭うどんのふるさと、稲庭地区の中世の山城が稲庭城。小野寺氏の居城だった城跡の二の丸跡に建つ、観光天守的な建物のミュージアムが稲庭城。中世、この地を領有した小野寺氏を解説するコーナー、湯沢の歴史ゾーン、産業ゾーンなどに分かれています。
天守風の建物内部は博物館に
1階は「まちの『今』の顔」で、武者絵行灯などを展示。
2階の「伝統産業と土地改良史」では、川連漆器(かわつらしっき)、稲庭うどん、秋田仏壇、川連こけしなど湯沢の伝統産業を紹介しています。
漆器と仏壇の技術を生かした純金箔張りの「黄金の間」は、必見の価値があります。
川連漆器は、鎌倉時代、稲庭城主・小野寺重道の弟、小野寺道矩がが現在の漆器作りの中心地・古四王野尻に館を築き、刀の鞘、弓、鎧などに漆を塗らせたのが始まり。
3階は、「小野寺氏と街の歴史」で、稲庭城復元想像図なども展示されています。
4階が展望台で、眼下に皆瀬川が流れ、栗駒山方面を眺望。
建物は天守風ですが、小野寺氏の城館は中世の館なので、近世的な天守はあくまで観光のシンボルとしてのもの。
山麓と山上は、東北最大級の稲庭城スロープカーが結んでいます。
中世、雄勝郡を領有した小野寺氏の居館
小野寺氏は、平安時代後期、下野国都賀郡小野寺(現・栃木市岩舟町小野寺)に始まったと伝えられ、文治5年(1189年)、奥州合戦の戦功で、出羽国・雄勝郡(おがちぐん=現・湯沢市周辺)の地頭職となり、鎌倉時代あるいは南北朝時代に出羽雄勝郡稲庭に居館を構えたとされています。
その後、勢力を広めますが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置の際には横手城主ながら所領を削られています。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に組みしたため、改易され、戦国大名としての地位を失っています。
稲庭城の構築についても歴史的には定かでなく、建久4年(1193年)、小野寺重道が稲庭城を築いて居城としたという説もあり、弟、小野寺道矩の漆器奨励の伝承と辻褄(つじつま)が合います。
室町時代末期、小野寺氏は沼館城、次いで横手城に居城を移し(三戸城を拠点とする南部氏の出羽進出に対抗)、稲庭城には城代が置かれて本城ではなくなっていますが、沼館城に居館を移した第11代当主・小野寺泰道(おのでらやすみち)の次男・小野寺晴道(小野寺晴道の念持仏が善龍寺に現存)が城主となり、以降、稲庭氏を名乗っています。
稲庭城 | |
名称 | 稲庭城/いなにわじょう |
所在地 | 秋田県湯沢市稲庭町古舘前平50 |
関連HP | 湯沢市公式ホームページ |
電車・バスで | JR湯沢駅から羽後交通バス湯沢・小安線鳥谷行きで30分、下早坂下車、徒歩1分 |
ドライブで | 湯沢横手道路須川ICから約17km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 稲庭城 TEL:0183-43-2929 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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