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義経寺

史実では奥州藤原氏の居館・衣川館(ころもがわのたち/岩手県平泉町)で最期を遂げた源義経ですが、津軽海峡を渡り蝦夷地(北海道)へ落ち延びたという『義経北行伝説』が北東北から道南にかけて残されています。龍飛崎付近の青森県三厩(みんまや)にはその北行伝説を裏付けるかのように、義経にまつわる史跡が多く、義経寺もそのひとつ。

義経北行伝説が伝わる寺は、北前船を見守る寺として繁栄

源義経が十三湊(じゅうさんみなと/青森県五所川原市)を後に龍飛崎を渡る際、厩石の上に座り、観音像に祈りをささげて荒れ狂う海を鎮めたという伝説が伝わっています。

観音像は、小さな銀の仏像で、義経が海を渡って500年後、1667(寛文7)年、円空がこの地を訪れた際に発見され、円空は観音菩薩像を彫ってこの義経の銀の観音像を納め、お堂を建てて祀ったとのこと。

もともとは真言宗の観音寺でしたが、明治初めの廃仏毀釈で浄土宗に変わり、義経寺と改めています。
義経寺には作家・太宰治も訪れ、その様子が小説『津軽』にも記されています。

山門、本堂の間に仁王門、観音堂、1707(宝永4)年築の弁天堂、鐘楼、金比羅堂、阿弥陀堂などがあり、江戸時代までの神仏混淆時代の雰囲気を残しています。

また、厩石前には「源義経渡道之地」の石碑が立っていて、三厩の『義経北行伝説』を今に伝えています。

義経北行伝説と三厩
徳川光圀が編纂を開始し明治時代に完成した『大日本史』には、「義経の死したる日と、頼朝の使者がその検見したる日とその間43日。かつ天時暑熱の候なるを以て、たとえ酒に浸し、またこれを函にするといえども、この大暑中、奚んぞ腐敗壊敗せざらんや。しからば、すなわち義経死したりと偽り、しかして逃走せしならんか」と記されています。

三厩と北海道との交流は、出土する擦文土器(さつもんどき=古墳時代の影響を受けた北海道で製作使用された土器)などから古代からあったことがわかっていますが、江戸時代には北前船の寄港地として繁栄しました。
幕末の探検家・松浦武四郎も6度に渡って蝦夷地に渡っていますが、毎回、三厩から蝦夷地へと渡っているのです。

義経寺の前身、観音寺に納められた観音様も、実は、江戸時代、足羽(現・福井市)の甚兵衛の観音像が北前船の船頭を通じて三厩の廻船問屋・伊藤五郎兵衛の手に渡ったもの。
義経寺境内に金毘羅が祀られるのも、北前船の船乗りたちの信仰によって。

ひょっとすると、義経は生きて蝦夷地に渡った!? と信じる人も多いのですが、義経北行伝説も江戸時代に生まれた伝説と推測されます。

源義経
義経寺
名称 義経寺/ぎけいじ
所在地 青森県東津軽郡外ケ浜町三厩家ノ上76
電車・バスで JR三厩駅から村営バス竜飛岬行きで5分、義経寺下車、約170段の石段を登ってすぐ
ドライブで 東北自動車道青森ICから約61km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 義経寺 TEL:0174-37-2045/FAX:0174-37-2498
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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