鳥取県鳥取市青谷町にある弥生時代前期末(2400年前)〜古墳時代前期(1700年前)の集落遺跡が、青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)。平成12年に弥生人の人骨が大量に出土。その数はなんと109体もあり、なかには戦士の可能性もある人骨があり、「弥生の地下博物館」とも称されています。
人骨に受傷痕があるのは、「倭国大乱」の証!?
青谷平野の中央部に位置する青谷上寺地遺跡は、古代の日本海、そして山陰道の物流の拠点だったと推測される地で(交易の拠点として賑わった港湾集落)、遺跡の低湿地部では水田の跡も見つかっています。
弥生時代前期後半にムラが誕生し、弥生時代の中期後半に発展を遂げ(遺跡からは中国や朝鮮半島からもたらされた土器や銅鏡などの金属製品も出土)、なぜか古墳時代前期に忽然と消えています。
数多くの人骨、土器などが出土し、大量の弥生時代の道具が奇跡的な保存状態で発見されたことから「弥生の地下博物館」と称されているのです(1353点の出土品が国の重要文化財に指定)。
ムラからクニへという発展の過程、稲作が行なわれ一見すると平和な暮らしを想像しますが、平成12年に出土した109体分(5323点)の人骨群からは、鏃(やじり)が突き刺さるなど受傷痕のある骨が出土していることから、戦乱の世だった可能性も浮かび上がります。
古代中国・魏の史書『魏志倭人伝』(通称)には、2世紀後半(弥生時代末期)に倭国で起こったとされる争乱「倭国大乱」(わこくたいらん)が記されていますが、そうした争乱の証とも推測できるのです(「倭国大乱」に誕生したのが邪馬台国)。
ただし、受傷痕のある骨は少ないため(受傷痕のある骨は110点、10体分と全体の1割以下)、戦闘で受けたものではなく、刑罰や儀礼の可能性もあり、出土人骨を戦死者と短絡的に結びつけることはできません。
出土品には、鋳造鉄斧(ちゅうぞうてっぷ)などの輸入品(渡来品)と、管玉(くだたま)や花弁高坏といった輸出用の品があるので、交易が盛んなムラであることがわかります。
DNAを解析した32体の中で血縁関係を示す骨は3組しかなかったこと、渡来人が持ち込んだとみられる結核に罹患した骨があることから、絶えず人が流入を繰り返す、現在の都会的な様相を呈したムラだったことも裏付けられています。
ちなみに、出土した人骨の個体数が109体とされたのは大腿骨からの推計で、実際にはこれより多い可能性もあるとのこと。
しかも、令和5年には平成12年に大量の人骨が見つかった「SD38」と呼ばれる溝の近接地で、350点(10体分)ほどの人骨が出土。
今後もさらに新たな発見が期待されています。
青谷上寺地遺跡は、弥生時代の世界を体験できる「青谷かみじち史跡公園」として整備されているので、古代史好きならぜひ一度足を運んでみることをおすすめします。
弥生人の人骨109体分が出土した「弥生の地下博物館」青谷上寺地遺跡とは!? | |
所在地 | 鳥取県鳥取市青谷町青谷 |
場所 | 青谷上寺地遺跡/あおやかみじちいせき |
電車・バスで | JR青谷駅から徒歩10分 |
ドライブで | 山陰自動車道青谷ICから約1km |
駐車場 | 青谷かみじち史跡公園駐車場を利用 |
問い合わせ | 青谷上寺地遺跡展示館 TEL:0857-85-0841/FAX:0857-85-0844 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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