名主の滝公園
江戸時代中期、徳川吉宗により行楽地として開発された、王子・飛鳥山周辺(現・東京都北区)。石神井川(しゃくじいがわ=滝野川)を中心に武蔵野台地の崖線に滝が懸かり、「王子七滝」として庶民にも人気の納涼地となっていました。この…
江戸時代中期、徳川吉宗により行楽地として開発された、王子・飛鳥山周辺(現・東京都北区)。石神井川(しゃくじいがわ=滝野川)を中心に武蔵野台地の崖線に滝が懸かり、「王子七滝」として庶民にも人気の納涼地となっていました。この…
東京都文京区にある小石川植物園。正式名は東京大学大学院理学系研究科附属植物園で、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。その前身は、江戸時代初期の貞享元年(1684年)、白山台地にあった第5代将軍・徳川…
武蔵野台地南端の湧水をせきとめた、約4万平方メートルもの広大な湧水池が東京都大田区南千束にある洗足池(せんぞくいけ)。清水窪弁財天の湧水など、周囲の湧き水を池に湛えています。現在は大田区立の公園となり、池では手漕ぎボート…
村上大祭に欠かせない山車(だし)、「おしゃぎり」を展示する、村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)に隣接するのが重要文化財若林家住宅。1800年前後に建てられたと推定される江戸時代の武家屋敷で、若林家の当時の禄高は150石ほ…
上越市にあるたにはま海水浴場(谷浜海水浴場)は、北陸随一の遠浅な海岸として有名。波が穏やかで水質もよく、3世代で楽しめるビーチとなっています。旅館、民宿を基地にして海水浴が楽しめるほか、浜茶屋も数軒営業。明治44年 8月…
上越市の鵜の浜温泉にある海水浴場で、例年水質の良さと海岸沿いに旅館・ホテルが並ぶ便利さで人気を集めているのが鵜の浜海水浴場。例年海の日には観光体験地引網なども行なわれているほか、海水浴場開設期間中に数回、『色彩音楽花火』…
文栄8年(1271年)、『立正安国論』を鎌倉幕府に建白したことにより佐渡に流刑となった佐渡流刑を許された日蓮が、文栄11年(1274年)、赦免となって寺泊に向かう途中に遭難し、たどり着いたのが日蓮聖人着岸の地・番神岬。霊…
新潟県柏崎市の海岸線の高台に建つ日蓮ゆかりの堂が番神堂。神仏習合時代の三十番神(さんじゅうばんしん)を勧請した堂で、最澄(伝教大師)も比叡山に祀り、代表格である30の神仏が、旧暦の1ヶ月30日を毎日交替で国家や国民などを…
日蓮が三十番神を勧請したといわれる番神堂が名の由来という柏崎市の海水浴場が番神・西番神海水浴場。番神神社の赤い鳥居が印象的な番神岬周辺に広がる番神・西番神海水浴場は、環境省の「快水浴場百選」にも選定されています。
JR信越本線・鯨波駅の眼の前に広がるのが柏崎市の鯨波海水浴場。汀線(浜の長さ)440m、奥行き90mという砂浜のビーチで、新潟県では尖閣湾とともに鯨波・青海川海岸として(青海川海水浴場とセットで)「日本の渚百選」にも選定…
笹川流れは、越後・笹川(旧笹川村)の沿岸、海でありながら岩礁の岩間を潮流が流れるということから、名付けられた新潟県村上市の景勝地。この景勝を海上から眺められるのが、笹川流れ観光汽船が運航する笹川流れ遊覧船。桑川漁港を起点…
国の名勝および天然記念物に指定されている笹川流れのほぼ中央、板貝川の河口、板貝集落にある小さな美しいビーチが板貝海水浴場。入江状になっているため砂浜が広くやや遠浅なビーチです。
山形県と境を接する新潟県最北端、村上市山北地区の鳥越山と狐崎までの延長11kmにわたる風光明媚な海岸線が笹川流れ。蒲萄(ぶどう)山地が日本海に落ち込み、浸食された海食地形で、淡桃色の砂浜と、絶壁、洞窟、奇岩が連続する海岸…
国指定の名勝および天然記念物になっている新潟県立自然公園笹川流れ(村上市)にある海水浴場が笹川海水浴場。笹川流れのほぼ中央、海岸線の名の由来となった笹川河口、笹川集落(旧笹川村)にある小さな海水浴場です。JR羽越本線桑川…
新潟県村上市、日本海に沈む夕日が自慢の瀬波温泉にある海水浴場が瀬波温泉海水浴場。環境省の「快水浴場百選」にも選定の海水浴場です。瀬波温泉の旅館に泊まれば水着のままで海水浴を楽しむことができますが、海水浴場開設期間中なら浜…
南北16kmの海岸線に寺泊中央海水浴場、金山海水浴場、郷本海水浴場と続く寺泊海岸。遠浅の寺泊中央海水浴場は汀線(浜の長さ)650m、奥行250mと広々としており、新潟県内でも人気のビーチとなっています。寺泊中央海水浴場で…
旧守門村の中心部・魚沼市須原地区にある重要文化財目黒邸は、寛政9年(1797年)に建てられた割元庄屋(大庄屋職)の役宅を兼ねた豪農住宅。自然石を積み上げた野面積み(のづらづみ)の石垣で塀を築き、門柱に貫(ぬき)をかけた冠…
魚沼市の大倉地区(旧守門村)にある重要文化財に指定された農家が佐藤家。佐藤家は寛永年間(1630年頃)に大倉の住人となった農家。現存する建物(重要文化財佐藤家住宅)は元文3年(1736年)に4代目の佐藤由左衛門が建てたも…