「日本新三大夜景」に異変あり! 横浜が新たに加わる|2025
(一社)夜景観光コンベンション・ビューローが、国内外の夜景観光活性化を目指して創設した夜景ブランドが「日本新三大夜景」(正式名は「日本新三大夜景都市」)。全国の夜景観光士による投票に基づいて選定していますが、3年に一度更…
(一社)夜景観光コンベンション・ビューローが、国内外の夜景観光活性化を目指して創設した夜景ブランドが「日本新三大夜景」(正式名は「日本新三大夜景都市」)。全国の夜景観光士による投票に基づいて選定していますが、3年に一度更…
鳥取県米子市の「伯耆古代の丘」にある資料館が、上淀白鳳の丘展示館。白鳳期(飛鳥時代後期)の古代寺院の遺構「上淀廃寺跡」から出土した法隆寺金堂壁画と並ぶ日本最古級の白鳳時代の彩色壁画など、古墳・廃寺跡からの出土品を展示。金…
千葉県南房総市の富山地区では「房州みかん」と呼ばれる温州みかん栽培が盛ん。毎年10月中旬~12月下旬が『みかん狩り』のシーズンで、道の駅「富楽里とみやま」ではみかん狩りの受付後、所要5分〜10分ほどのみかん園に案内される…
千葉県市川市須和田にある古社が、六所神社(ろくしょじんじゃ)。奈良時代、下総国(しもうさのくに)の国府(こくふ=現在の県庁)は現在の市川市国府台にありましたが、派遣された国司が参拝する神社として、下総国の総社として創建さ…
千葉県浦安市にある体験型のミュージアムが、浦安市郷土博物館。かつては、漁業の町だった浦安の歴史、民俗を紹介する郷土博物館で、浦安の海の生物を水槽に展示し、ジオラマや映像を交えて解説。野外展示館「浦安のまち」は昭和初期から…
和歌山県伊都郡高野町、高野山金剛峯寺の塔頭(たっちゅう=支院)のなかで唯一、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっているのが、金剛三昧院(こんごうざんまいいん)。北条政子の発願で、源頼朝菩提のために禅定院…
大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺、慈眼院(じげんいん)。寺伝によれば天武天皇の勅願寺として創建という古刹ですが、鎌倉時代の文永8年(1271年)に建立された多宝塔は国宝。石山寺、高野山・金剛三昧院の多宝塔とともに、多…
富山県黒部市生地にある古社、新治神社(にいはるじんじゃ)で毎年10月26日・27日、『たいまつ祭り』(秋季大祭)が行なわれます。境内に敷き詰めた約400本の松明の火を蹴散らし神輿を担いだ厄年の男たちが参道を駆け抜ける勇壮…
富山県黒部市生地にある新治神社(にいはるじんじゃ)。天智天皇の御代の創建と伝えられる古社ですが、もともとの鎮座地である新治村(にいはりむら)は、元暦2年7月9日(1185年8月13日)に発生した文治地震(ぶんじじしん)の…
東京都港区白金台5丁目にある東京都立の美術館が、東京都庭園美術館。「アール・デコの館」と称された旧朝香宮邸(きゅうあさかのみやてい)を再生した美術館で、建物自体も芸術的な価値を有しています。美しい西洋庭園、日本庭園、芝庭…
鹿児島県鹿屋市、海上自衛隊鹿屋航空基地内にある海軍航空に関する歴史資料館が、鹿屋航空基地史料館。「零式艦上戦闘機52型丙」の復元機の展示など旧日本海軍創設期から第2次大戦までのさまざまな資料を展示し、無料で公開。平成5年…
千葉県千葉市美浜区にある稲毛海浜公園内の千葉市花の美術館が、令和7年3月29日、BOTANICA MUSEUM(ボタニカ ミュージアム)としてリニューアル。フラワーアーティスト・SEINO HIKARU(清野光)のプロデ…
千葉県木更津市にある浄土真宗の寺、證誠寺(しょうじょうじ)。かつては、寺子屋として名高く、住職が庶民に読み書きを教えていました。そんな證誠寺に伝わるのが「日本三大狸伝説」にも数えられる『狸ばやしの伝説』で、童謡『証城寺の…
長野市篠ノ井杵淵にある曹洞宗の寺、典厩寺(てんきゅうじ)には川中島の戦い(永禄4年・第四次合戦)で討ち死にした両軍の戦死者6000余名を弔い供養した寺。武田信繁(武田信玄の弟)の墓がありますが、注目は「日本一巨大な閻魔大…
♨温泉マーク(地形図の温泉記号)はいつから使われているのでしょうか。実は、ドイツ発祥説を抑えて有力なのが、磯部温泉発祥の説。磯部温泉には発祥の地碑も設置されていますが、はたしてその根拠は一体何なのでしょうか…
350mと日本一の落差を誇る称名滝(しょうみょうのたき/富山県中新川郡立山町)。落差日本一の名瀑はどのようにして生み出されたのか? 一般に立山火山と呼ばれますが、この称名滝の形成に大きく関わっているのは立山火山こと、弥陀…
東京で出世祈願のパワースポットといえば、江戸の昔から愛宕山(あたごやま)の「出世の石段」。この「出世の石段」には、この石段を馬で駆け上がったという勇壮な武士の美談が残されています。その愛宕山には江戸時代、徳川家康が京の愛…
武田信玄の「隠し湯」は有名で、温泉を野戦病院として利用する方法は、その子・武田勝頼にも受け継がれ、天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで徳川・織田連合軍に手痛い敗北を喫すると、すぐさま配下の真田昌幸(さなだまさゆき)に…