二宮神社の神楽|船橋市
1月15日と10月16日(例祭)に二宮神社境内の神楽殿で、節分祭(毎年2月3日)には社殿で演じられる神楽。演目は、12座伝えられているなかから、天候や客の集まりを見て決められています。神楽はやし連を構成しているのは地元、…
1月15日と10月16日(例祭)に二宮神社境内の神楽殿で、節分祭(毎年2月3日)には社殿で演じられる神楽。演目は、12座伝えられているなかから、天候や客の集まりを見て決められています。神楽はやし連を構成しているのは地元、…
久留里城の二の丸跡(標高128m)に昭和54年に開館した資料館。久留里城と君津市の歴史・文化・自然に関する資料を展示しています。屋外には明治中期に君津地方で考案された掘抜(ほりぬき)井戸の掘削技術を伝える「上総掘り」の足…
浄土真宗の寺、證誠寺はJR木更津駅西口から約600m、矢那川沿いの市街地に位置しているにもかかわらず、松や杉、檜などが生い茂った趣深い寺。かつては、寺子屋として名高く、住職が庶民に読み書きを教えていました。そんな證誠寺に…
三陽メディアフラワーミュージアム(千葉市花の美術館)で『Happy Halloween』を開催。今年のテーマは、「ちょっとお洒落なハロウィン」。原点に立ち戻って、自然の恵みに感謝、秋の収穫をお祝いします。カボチャと秋の花…
「あれからニシンは どこへ行ったやら」北原ミレイが歌って昭和50年にヒットした『石狩挽歌』(作詞・なかにし礼、作曲・浜圭介)。その1番の歌詞に「沖を通るは 笠戸丸」の歌詞があります。2番の歌詞に「燃えろ篝火 朝里の浜に」…
北海道を旅すると、道東や道北を中心に鉄道駅舎跡地にメモリアルパークのようなものが存在しています。そのなかでも意外に規模が大きく、道の駅にもなっているのにかかわらず、観光ルートから外れているため、旅行者が訪れることが少ない…
「六根清浄と六感治癒の地」として三徳山(みとくさん=六根清浄の地)とセットで日本遺産に登録される三朝温泉(みささおんせん)。参拝の前に心身を清める「六感治癒」の地として三徳山参詣の基地となったのが三朝温泉です。三朝温泉の…
三徳山参詣のメインルートは、三朝温泉を経由し三徳山に入山する道。「六根清浄と六感治癒の地」として三徳山(六根清浄)と三朝温泉(六感治癒)はセットになっていたのです。三徳山では修行により、目・耳・鼻・舌・身・意を清める「…
「江差の五月は江戸にもない」。北前船による江差の繁栄を端的に表す言葉としてよく、引き合いに出されるフレーズです。でも、この言葉の意味を理解している人は、実はあまり多くはありません。それは、どうして江差が北前船の起点となっ…
龍雲院、法源寺、法幢寺など5つの寺や松前藩主松前家墓所が現存し、道内唯一の近世的な寺町として北海道遺産「福山(松前)城と寺町」にも認定の松前の寺町。前編ではその由来の秘密と光善寺を紹介しました。後編では龍雲院、法幢寺、阿…
「北の小京都」といわれるのが、最北の城下町・松前ですが、実は松前の城下町は、往事の町並みがほとんど残っていません。幕末の戊辰戦争(箱館戦争)で新政府側に寝返った松前藩は城下に火を放って逃走。これで、寺町も焼けてしまうので…
「三徳山-信仰の山と文化的景観」は、現在、文化庁の世界遺産暫定一覧表候補となっており、鳥取県では世界遺産登録へ運動を展開中。ところがこの三徳山(みとくさん)、標高はわずかに899.6m。霊峰というほど標高はなく、周囲から…
文治5年閏四月晦日(旧暦4月30日/西暦1189年6月15日)に平泉の「衣河館」で自害したとされる源義経ですが、実は、自害は見せかけで、弁慶などとともに北海道に渡った・・・。これが有名な『義経北行伝説』。31歳で生涯を閉…
どうも、かつてはEXILE AKIRA似と言われたこともある熊山です。そんなAKIRAが観光プロモーションを担当する、島根県・石見エリアのプレスツアーに参加してきました。島根県といえば、右隣の鳥取県と並んで、日本でも有数…
黒部市生地地区はアルプスからの伏流水が湧き出る湧水の里であるとともに、昆布ロードに関連した土地。というのも北海道開拓時代に羅臼昆布で知られる知床・羅臼に入植した人の7割はこの生地出身者だったのです。その地に鎮座する新治神…
黒部市の新治神社(にいはるじんじゃ)で毎年10月26日・27日、『たいまつ祭り』(秋季大祭)が行なわれます。境内に敷き詰めた約400本の松明の火を蹴散らし神輿を担いだ厄年の男たちが参道を駆け抜ける勇壮な祭り。
藤枝市瀬戸ノ谷の高根白山神社(たかねはくさんじんじゃ)で毎年10月29日に奉納される『高根白山神社古代神楽』。江戸時代後期から伝わるこの神事芸能は、静岡県の無形民俗文化財、国の記録選択文化財に指定されています。
『見高式三番叟』(みたかしきさんばそう)は、江戸時代に見高出身の江戸歌舞伎の名優4代目・市川小團次から指導をうけた村の青年有志が旧庁屋で『式三番叟』を上演したのが始まり。見高地区には今でも回り舞台のついた見高神社の神楽殿…