横浜税関
横浜市街、関内地区のほぼ中央、新港橋の南詰に位置する横浜税関。アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約(安政の5ヶ国条約)を締結した翌年、1859(安政6)年の横浜開港と同時に「神奈川運上所」(後に「…
横浜市街、関内地区のほぼ中央、新港橋の南詰に位置する横浜税関。アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約(安政の5ヶ国条約)を締結した翌年、1859(安政6)年の横浜開港と同時に「神奈川運上所」(後に「…
横浜開港50周年を記念し、市民の寄付金により大正6年に創建された横浜市開港記念会館(中区公会堂)。本来は横浜市の公会堂で、大正7年に竣工した大阪中之島公会堂とともに大正期に建てられた2大公会堂建築といわれています。平成2…
横浜港に面した1kmほどに、芝生の広場やベンチが置かれたプロムナードが続く山下公園。もともとはフランス波止場があった場所で、関東大震災の復興事業として瓦礫で造成された日本初の臨海都市公園(昭和5年開園)。関東大震災の際に…
1858(安政5)年の修好通商条約締結で開港場の一つに選ばれた新潟は明治元年に開港。関税業務を行なう施設として明治2年に新潟運上所(旧新潟税関庁舎)が設置されました。開港5港(箱館、新潟、神奈川、兵庫、長崎)当時の税関と…
幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)時に砲台が置かれた黒崎御台場(くろさきおだいば)。南部藩(盛岡藩)の大砲、二貫目銅筒を復元して配置しているのが黒崎砲台跡です。黒崎御台場の周囲には土塁を巡らせ、砲台場、火薬庫詰め所を配置。…
関門海峡に突き出した企救半島(きくはんとう)の先端、周防灘(すおうなだ)に臨んで建つ部埼灯台(へさきとうだい)。幕末の1867(慶応3)年、徳川幕府が兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するためイギリス公使と交わした大坂…
日本一長大な砂嘴(さし)、野付半島を走る道道950号野付風蓮公園線(フラワーロード)。その途中、ポンニッタイ地区にあるのが会津藩士の墓。幕末の1859(安政6)年、幕府は、東北六藩に、蝦夷地の警備を命令。会津藩は北方交易…
雑賀崎から、海に向かって鼻のように突き出している番所ノ鼻は、江戸時代、紀州藩が海の見張りをするための遠見番所を築いた場所で、その跡地を整備したのが番所庭園。眼前には大島(男島)、中ノ島(女島)、双子島を望み、夕日が島影を…
根室半島の根室海峡側、ノッカマップ岬の東端には根室半島チャシ跡群のひとつ、ノッカマフチャシ跡(ノッカマフ1号・2号チャシ跡)があります。根室半島の海沿いには16世紀〜18世紀にアイヌ民族が構築した32ヶ所のチャシが現存。…
浜中町から根室市に至る道道142号(北太平洋シーサイドライン)の途中にある展望駐車公園が羨古丹駐車公園(うらやこたんちゅうしゃこうえん)。北太平洋シーサイドラインは、観光客の少ない秘境ムードたっぷりのドライブルート。羨古…
斜里町役場の裏手、知床博物館の西側のこんもりと茂った町民公園にある史跡。1807年(文化4)年、江戸幕府は津軽藩、秋田藩などの東北諸藩に蝦夷地警備を命じています。寒さに強いという理由で東北諸藩がロシアの南進策に対抗する蝦…
函館山の西端、函館港を見下ろすひっそりとした高台にある箱館(函館)の開口の歴史を伝える墓地。墓地に葬られているのは、幕末の開港とともに来日し、日本で没した外国人たちで、1854(嘉永7)年、ペリーが箱館(現在の函館)に来…
ロシアの南下に備える最前線で警備をするために、寒さに強いとの理由で、1807(文化4)年、津軽藩士230名が宗谷に派遣されています。冬の厳しい寒さで多数の越冬死者を出し、翌1808(文化5)年には、内藤源助、梶原平馬率い…
昭和20年8月の終戦まで旧軍の要衝地帯として幕末からの長きにわたり、一般の立ち入りが厳しく制限されてきた観音崎。実は、それゆえに、知られざる不思議なスポットが数多く残されています。