建長寺・仏殿
神奈川県鎌倉市、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第一位、北条時頼が開基の建長寺。建長寺。総門、三門(山門)、仏殿、法堂(はっとう)、方丈が一直線に並ぶ伽藍配置ですが(境内は国の史跡)、本尊の地蔵菩薩坐…
神奈川県鎌倉市、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第一位、北条時頼が開基の建長寺。建長寺。総門、三門(山門)、仏殿、法堂(はっとう)、方丈が一直線に並ぶ伽藍配置ですが(境内は国の史跡)、本尊の地蔵菩薩坐…
神奈川県鎌倉市、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第一位、北条時頼が開基の建長寺。建長寺。総門、三門(山門)、仏殿、法堂(はっとう)、方丈が一直線に並ぶ伽藍配置ですが、国の重要文化財に指定される三門(山…
埼玉県秩父市、秩父の銘酒『武甲正宗』の醸造元が武甲酒造(柳田総本店)。宝暦3年(1753年)創業という老舗で、今も古い店構えの店舗と昔ながらの酒蔵が並んでいます。秩父往還に東面して建つ店舗部分は文化7年(1810年)頃の…
埼玉県熊谷市にある名主を務めた豪農の門が、根岸家長屋門。根岸家は藩政時代(江戸中期以降)に甲山村と箕輪村の名主を務めた豪農。幕末の勤皇志士、根岸友山の生家にもなっています。現存する長屋門は、江戸時代後期、天保年間(183…
埼玉県川越市、天明3年(1783年)創業という川越の老舗菓子屋「亀屋」の5代目・山崎嘉七が隠居所として建てた別邸が、旧山崎家別邸。建物は国の重要文化財、庭園は国の名勝に指定されています。隠居所といいながら、豪商・山崎家な…
埼玉県行田市にある足袋全盛時代の歴史を伝える店蔵が、牧野本店。「力弥足袋」の商標で知られた足袋製造卸商で、裏手にある大正11年築の木造洋風工場は、「足袋とくらしの博物館」として活用されています。牧野本店店蔵は、行田随一の…
埼玉県行田市、「十万石ふくさや行田本店」、「足袋とくらしの博物館」などのある市街中心地に建つのが武蔵野銀行行田支店。昭和9年6月に忍貯金銀行(おしちょきんぐんこう)本店として建築されたレトロな銀行建築で、外壁はスクラッチ…
埼玉県川越市、川越市川越伝統的建造物群保存地区に選定される蔵造りの町並み(川越一番街商店街)の一画に建つレトロな洋館が、旧八十五銀行本店本館。現存する建物は、明治26年の川越大火で焼失後、大正7年の竣工で、国の登録有形文…
埼玉県川越市、円仁(慈覚大師)が創建という名刹、喜多院(川越大師)。五百羅漢像が有名ですが客殿、書院、庫裏(くり)、慈眼堂、鐘楼門、山門などが国の重要文化財に指定と、文化財の宝庫。客殿と書院に渡り廊下でつながる庫裏は、現…
埼玉県川越市、円仁(慈覚大師)が創建という名刹、喜多院(川越大師)。五百羅漢像が有名ですが客殿、書院、庫裏、慈眼堂、鐘楼門、山門などが国の重要文化財に指定と、文化財の宝庫。一見すると鐘撞堂のような鐘楼門は、寛永10年(1…
埼玉県川越市、円仁(慈覚大師)が創建という名刹、喜多院(川越大師)。五百羅漢像が有名ですが客殿、書院、庫裏、慈眼堂、鐘楼門、山門などが国の重要文化財に指定と、文化財の宝庫。山門は、棟札から寛永9年(1632年)、天海僧正…
埼玉県川越市、円仁(慈覚大師)が創建という名刹、喜多院(川越大師)。五百羅漢像が有名ですが客殿、書院、庫裏、慈眼堂、鐘楼門、山門などが国の重要文化財に指定と、文化財の宝庫。慈眼堂は、厨子に入った天海僧正の木造が安置される…
埼玉県川越市の川越市川越伝統的建造物群保存地区に選定される蔵造りの町並み(川越一番街商店街)にあるのが、陶舗やまわ。角地に建ち、ひときわ目を引く重厚な建物は、川越大火直後の明治26年築の蔵造り。NHK連続テレビ小説『つば…
小江戸と呼ばれる埼玉県川越市は、松平家17万石の城下町として栄え、最盛期には100軒以上の蔵造りの建物が建ち並んでいました。蔵造りの町並み(川越一番街商店街)一帯には見事な蔵が並び、散策に絶好。明治26年の川越大火後、防…
埼玉県川越市にある川越藩の藩庁だった城が、川越城。その大手口(玄関口)となる大手門の遺構は残されていませんが、川越市役所前に太田道灌の像とともに、川越城大手門跡の石碑が立っています。大手門は城の南に、南大手門(南門)もあ…
埼玉県川越市にある川越城・三の丸跡(八幡曲輪跡)に建つ県立川越高校の校庭南にあるのが、川越城・富士見櫓跡。こんもりとした鎮守の森のように見える一画に建っていたのが、富士山を眺望できたことが名の由来という富士見櫓。代用天守…
埼玉県さいたま市岩槻区、岩槻城址公園テニスコートの南側にあるのが、岩槻城・黒門。明治4年の廃藩置県で、岩槻藩の藩庁だった岩槻城は廃城となり、埼玉県の誕生とともに、黒門も浦和に移されて埼玉県庁正門などに利用されましたが、昭…
埼玉県東松山市にある東武東上線の高坂駅から日本セメント(現・太平洋セメント)の工場とを結ぶ専用線の跡が、日本セメント東松山専用鉄道跡。昭和30年10月に原料搬入のための専用線として敷設され、昭和59年7月31日に廃線にな…