蓮馨寺
埼玉県川越市にある浄土宗の寺、蓮馨寺(れんけいじ)。天文18年(1549年)、北条氏康・氏政・氏直の3代に仕えた河越城主・大道寺政繁(だいどうじまさしげ)の母・蓮馨が開基で、江戸時代には浄土宗の関東十八檀林に数えられてい…
埼玉県川越市にある浄土宗の寺、蓮馨寺(れんけいじ)。天文18年(1549年)、北条氏康・氏政・氏直の3代に仕えた河越城主・大道寺政繁(だいどうじまさしげ)の母・蓮馨が開基で、江戸時代には浄土宗の関東十八檀林に数えられてい…
山口県防府市(ほうふし)松崎にある菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る古社が防府天満宮。社伝によれば、讒言(ざんげん)で失脚した菅原道真は、九州・大宰府(だざいふ)に左遷される途中、防府に立ち寄り、死後、魂となって帰って…
江戸時代に慶長小判・大判の原料となる良質な金鉱石を生産し、幕府財政を支えたのが伊豆金山の中心的存在の土肥金山。金山は昭和40年に閉山していますが、テーマパークとして「黄金の国ジパング」と海外に喧伝(けんでん)された事実を…
延喜元年(901年)、藤原時平らの陰謀によって右大臣から大宰府(だざいふ)の権帥(ごんのそち)に左遷させられた菅原道真は、延喜3年(903年)年2月25日、大宰府の南館(現・榎社)で没しています。その墓所に建てられたのが…
大阪市北区天神橋に鎮座する学業成就、合格祈願で名高い神社が大阪天満宮。白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際、都の西北(成玄)を守るため大将軍社を建立したのが始まり。天暦3年(949年)に村上天皇の勅…
仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音…
愛知県西尾市にある「西尾の抹茶」のルーツとなる寺。西条領主・吉良氏の菩提寺として3代・吉良満氏(きらみつうじ)が文永8年(1271年)に建立した寺。東福寺の聖一国師(円爾=えんに)を迎え開山式を行ない、宋(中国)・経山寺…
名古屋と東三河を結ぶ高規格道路・国道23号(名豊道路)岡崎バイパス沿い(小島江原IC出口近く)にある道の駅で高さ20mの風力発電装置「風の塔」が目印。西尾市特産の抹茶・抹茶関連コーナー、海産物など地元の特産品を販売するコ…
北九州市八幡東区にある標高622mの山が皿倉山。神功皇后(じんぐうこうごう)が山に入ったとき、下山時に夕闇が迫り、「更に暮れたり」と語ったのが山名の由来という伝説も。北九州国定公園、帆柱自然公園に指定され、皿倉山8合目に…
皿倉山ケーブルカーの山上駅と皿倉山山頂の展望台駅を結ぶのがモノレール式の皿倉山スロープカー。全長は159mと短いのですが最大勾配は22度もあり、歩くことを考えればかなり楽ちん。スロープカー自体も動く展望台といった感じです…
東京都港区元麻布1丁目にある浄土真宗本願寺派の寺、麻布山善福寺。背後は高台となった元麻布の高級住宅街、大使館街。寺伝によれば天長元年(824年)に空海(弘法大師)創建といい、都内では、浅草寺、深大寺に次ぐ古刹。越後国国府…
足利幕府直轄の金山奉行が伊豆国(現在の静岡県東部、伊豆半島)・土肥(とい)を支配し金を採掘したとも伝わる土肥の金山。昭和40年に閉山されるまで、600年以上にわたって土肥にゴールドラッシュをもたらした金山を観光施設として…
大倉山ジャンプ競技場の一角に建つ「1972年冬季オリンピック札幌大会」の感動と遺産を後世に残し、ウィンタースポーツの歴史を紹介、その普及と発展を目的にした博物館が「札幌オリンピックミュージアム」。
岐阜県垂井町(たるいちょう)にある、南宮大社の神輿のお旅所として知られる神社。古代に美濃国(みののくに=岐阜県南部)国府があった地に建つ、国府之宮がルーツと推測される古社。境内から美濃国国府の政庁跡が発掘され、政庁正面に…
天平11年(739年)、行基(ぎょうき)開基と伝わる美濃国(みののくに)の一の宮が南宮大社。平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも美濃国内唯一の名神大社として記載され、仲山金山彦神社と称したとあり、古くは製鉄など金属精錬の神…
時代劇の『大岡越前』で知られる大岡忠相(おおおかただすけ)は、曽祖父・大岡忠正の時代に、秀吉による徳川家康の江戸入封の際、家康に従い三河から関東に入り、翌天正19年(1591年)5月、相模国高座郡堤村(現・茅ヶ崎市堤町)…
元和元年(1615年)に「寛永の三筆」の一人で陶芸家でもある本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から拝領した地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦はこの地に一族と移り住み、工匠を集めて「芸術の里」ともいえ…
昔ながらの温泉場といえば「共同湯」(共同浴場)ですが、この地元の社交場である共同湯は、高度成長以降に、近代的な日帰り入浴施設に変身したりして、数を減らしています。地元の地区が管理することもあって、維持管理が大変という側面…