【完全攻略ガイド】 松江城・天守(国宝)
島根県松江市殿町にある松江城の天守は、全国に現存する12天守のひとつで、国内に5つしかない国宝天守のひとつ。慶長16年(1611年)、堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成。12天守のうち、天守の大きさ(平面規模)は2位、高さ…
島根県松江市殿町にある松江城の天守は、全国に現存する12天守のひとつで、国内に5つしかない国宝天守のひとつ。慶長16年(1611年)、堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成。12天守のうち、天守の大きさ(平面規模)は2位、高さ…
国宝天守は、世界文化遺産登録の姫路城を筆頭に、松本城、犬山城、彦根城、そして松江城。松江城天守(島根県松江市)は、平成27年に国宝に加わったもの。なぜそれまで国の重要文化財だった天守が、国宝へと「格上げ」されたのでしょう…
千葉県市川市国分4丁目、下総国分寺跡の北西500mほどにあるのが、下総国分尼寺跡(しもふさこくぶんにじあと)。天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)により、国家鎮護のために諸国に建立された国分尼寺(法華滅罪之…
千葉県市川市国分3丁目にある、天平13年(741年)、聖武天皇の「国分寺建立の詔」により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつが、下総国分寺跡(しもうさこくぶんじあと)。寺域は東西300…
五重塔、三重塔というのは聞き慣れた言葉ですが、二重塔とはいいません。二重になった塔は、多宝塔と称されているからです。全国各地の寺の境内にある多宝塔のなかで国宝になっているのは6塔で、五重塔(9基)、三重塔(13基)と比べ…
和歌山県伊都郡高野町、高野山金剛峯寺の塔頭(たっちゅう=支院)のなかで唯一、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっているのが、金剛三昧院(こんごうざんまいいん)。北条政子の発願で、源頼朝菩提のために禅定院…
千葉県市川市国府台、下総台地の西端、江戸川に面した台地上に広がる公園が、里見公園。里見公園と呼ばれるのは、中世に里見氏と北条氏の激戦の国府台城跡(こうのだいじょうせき)だから。曲亭馬琴の長編小説『南総里見八犬伝』のクライ…
大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺、慈眼院(じげんいん)。寺伝によれば天武天皇の勅願寺として創建という古刹ですが、鎌倉時代の文永8年(1271年)に建立された多宝塔は国宝。石山寺、高野山・金剛三昧院の多宝塔とともに、多…
江戸城の西端、内堀の現・半蔵濠に面した門が、半蔵門。江戸城築城時からの門だと推測され、大手門が正門であるのに対し、搦手門(からめてもん=裏門)的な存在です。眼の前が甲州街道で、内藤新宿へと通じています。服部半蔵ゆかりの半…
東京都千代田区、皇居(江戸城)の西端、半蔵濠に面した門が半蔵門。東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅の駅名由来になった門ですが、どこに門があるのかを知らない人が大半。それもそのはずで、皇居の一部で皇宮警察が守備し、一般には半蔵濠…
千葉県君津市久留里、久留里市街の東に位置する標高140mほどの尾根筋を利用した山城が、久留里城。戦国時代には上総(かずさ)に進出した里見氏の小田原北条氏に対する軍事拠点となった地。現在の天守は昭和53年に復興した模擬天守…
長野県千曲市、戸倉上山田温泉の背後、千曲川との比高220mの山上に築かれた戦国時代の連郭式山城が、荒砥城(あらとじょう)。長尾景虎(上杉謙信)に与した村上義清と、武田晴信(武田信玄)の攻防の地で、武田軍を二度にわたって撃…
関東周辺には多くの古代史のロマンが眠っています。モースが発見した大森貝塚(東京都)は「日本考古学発祥の地」ですが、岩宿遺跡(群馬県)は旧石器時代の存在が証明された貴重な遺跡、さらに加曽利貝塚(千葉県)は世界最大の貝塚。2…
小田原市のマンホールには小田原城、箱根連山の山並みと富士山、輦台(れんだい)で川を渡る様子がデザインされています。城下町・小田原は東海道五十三次の江戸から数えて9番目の宿場町でもあったのです。マンホールに描かれた川は、酒…
東京都港区高輪2丁目にある石垣の遺構が、高輪大木戸跡。元和2年(1616年)、東海道・江戸の玄関口として現在地よりも北側700mほどの場所に芝口門が築かれたのが始まりで、宝永7年(1710年)、現在地に移転し、高輪大木戸…
JR・京急品川駅・高輪口から、西に国道15号(第一京浜)を横断歩道を渡った、東京都港区高輪4丁目。品川プリンスホテルが目に入りますが、その柘榴坂(ざくろざか)側、つまりは北側にあるのがショッピングセンター「ウィング高輪」…
東京都八王子市にあるJR中央本線、京王電鉄高尾線の駅が、高尾駅。明治34年8月1日、官設鉄道の浅川駅(あさかわえき)として開業した歴史ある駅で、現在の社寺建築の駅舎は昭和2年、大正天皇御大喪の際、新宿御苑仮停車場として建…
北海道稚内市、遠浅の岩礁が続く宗谷岬、その背後の高台にある頑強なコンクリート造りの遺構が、旧海軍望楼。明治35年に帝国海軍が構築したものですが、何を目的に宗谷岬に築いたのでしょう。宗谷岬から快晴の日には樺太(サハリン)が…