まるで巨大迷路! 「どんづる峯地下壕」の三次元動画を公開中!
どんづる峯地下壕をご存知だろうか? 奈良県香芝市にある屯鶴峯(どんづるぼう)は、白い岩肌の広がる奇観がSNSでも話題ですが、その地下には、第二次世界大戦末期に陸軍が掘った秘密基地「どんづる峯地下壕」があります。その地下壕…
どんづる峯地下壕をご存知だろうか? 奈良県香芝市にある屯鶴峯(どんづるぼう)は、白い岩肌の広がる奇観がSNSでも話題ですが、その地下には、第二次世界大戦末期に陸軍が掘った秘密基地「どんづる峯地下壕」があります。その地下壕…
和歌山県海南市下津町にある天台宗の名刹、長保寺(ちょうほうじ)。紀州徳川家の菩提寺で、5代・吉宗、13代・慶福を除く藩主の霊廟もあります。本堂、多宝塔、大門はいずれも国宝。本堂の右手前、境内の東南に南面して建つ多宝塔は、…
和歌山県岩出市にある根来寺(ねごろじ)は、新義真言宗総本山。豊臣秀吉の根来攻めで多くの堂塔を焼失していますが、創建当時からの建物として現存するのが、大塔。総高36m、国宝にもなっている多宝塔で、真言密教の教義を形の上で示…
山口県長門市、日本海長く突き出したムカツク半島(向津具半島)というヘンテコな名前の半島がありますが、その半島には、なんと! 楊貴妃(ようきひ)の墓があります。なぜ楊貴妃の墓があるのかといえば、大陸への玄関口だったという歴…
明治時代には近代化とともに全国の府県には郡制が敷かれ、県議会も開催されるようになりました。そんななかで県議会の議事堂が建築されていますが、明治期に建築された県会議事堂で現存するのは、新潟県、京都府、和歌山県の3府県にすぎ…
京都府京都市上京区にある美しいルネサンス様式の建築物が、京都府庁旧本館。明治37年12月20日に京都府議会議事堂を併設した京都府庁として建築され、国の重要文化財に指定。創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古…
新潟市中央区、白山公園横に建つレトロな建物が、新潟県政記念館。明治13年の新潟大火後の明治16年に建築された旧新潟県議会議事堂。明治初期の木造2階建ての洋風建築で、国の重要文化財に指定。信濃川をロンドンのテムズ川に見立て…
和歌山県岩出市根来(ねごろ)にある歴史的建造物が旧和歌山県議会議事堂。明治29年、和歌山県議会議事堂として建てられたもので、昭和37年に根来寺境内に移築され、大講堂・客殿に転用。平成24~27年度の保存整備事業によって、…
東京都千代田区にある宮内庁が管理する皇居附属の御苑が、皇居東御苑。旧江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開。江戸城の本丸跡、天守台、二の丸庭園、さらに出入りを監視した旧百人番所など見どころも豊富…
承安5年(1175年)、法然上人が吉水に設けた草庵に始まる浄土宗の総本山、知恩院。正式名は、華頂山知恩教院大谷寺。法然は自身が説いた学問や修業のない念仏仏教が信仰されるも、宗教追害にあい流刑の後、この地で入滅しています。…
千葉県千葉市花見川区検見川町5丁目にある通信施設の遺構が、旧検見川無線送信所。大正15年4月、東京無線局検見川送信所として開局、日本で初となる遠くまで届く短波による標準電波を送信した施設で、レトロな本館の建物が現存してい…
北海道増毛郡増毛町、かつて留萌本線(深川駅~増毛駅)の終着駅だったのが増毛駅。大正10年に開業した歴史ある駅ですが、平成28年12月5日、留萌駅〜増毛駅間が廃止され、廃駅に。レトロな駅舎、ホームが大正10年の開業時当時に…
東インド艦隊司令長官・ペリー(Matthew Calbraith PERRY)は、嘉永6年6月3日(1853年7月8日)に浦賀沖に来航。久里浜に上陸、幕府側に親書を手渡すことに成功。その後、江戸湾(東京湾)の測量を実施、…
北海道函館市元町、函館港を見下ろす基坂(もといざか)に面して建つレトロな洋館が、函館市旧イギリス領事館。現存する建物は、大正2年竣工で、イギリス政府工務省上海工事局の設計で建築され、昭和9年まで現役の領事館として使われた…
千葉県茂原市には、太平洋戦争が勃発する直前の昭和16年9月、関東防衛の一翼を担う飛行場として茂原海軍航空基地の建設が開始。88.7ha、東京ドーム19個分という巨大な敷地の航空基地が誕生しました。遺構はほとんどありません…
東京湾に浮かぶ唯一の無人島(台場などの人工島を除く)が、神奈川県横須賀市の猿島。第二次世界大戦までは東京湾要塞の猿島砲台のあった島で、立ち入りが禁止されていたためもあって、豊かな自然が残されています。その最高所にあるのが…
山口県長門市、北長門海岸国定公園の中央にある周囲40kmの島が青海島。海上アルプスと称される海岸美が有名ですが、その西端部にそびえる高山(319.7m)の山頂にある第二次世界大戦の戦争遺構が、高山防空監視哨跡。円形の見張…
温暖な縄文時代、縄文海進で海が関東平野の奥、埼玉県、茨城県あたりまで侵入していた時代、千葉県域は房総半島部分を残して水没し、「島」に近い状態だったことも明らかになっています。千葉県の貝塚の多くが、現在は海岸線から離れた台…