地図で読み解く! 『魏志倭人伝』の旅
後漢滅亡後、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)が分立した中国・三国時代。魏の使節が倭の女王、卑弥呼を目指した記録が、『魏志倭人伝』です。北九州・福岡県あたりまでは当時の王都も特定されているので、Google Map(グーグ…
後漢滅亡後、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)が分立した中国・三国時代。魏の使節が倭の女王、卑弥呼を目指した記録が、『魏志倭人伝』です。北九州・福岡県あたりまでは当時の王都も特定されているので、Google Map(グーグ…
『魏志倭人伝』には3世紀の倭の女王の都が置かれた邪馬台国(やまたいこく)を中心に、多くの国々が存在したことが記されています。対馬、壱岐をへて海路、北九州に至り、不彌国(ふみこく)から再び「水行二十日」という長旅で投馬國(…
3世紀、中国・三国時代の魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)のうち、魏の使節が倭国を訪ねた記録が『魏志倭人伝』。対馬、壱岐を経て九州・末盧國(佐賀県唐津市)に上陸後、陸路、伊都國(福岡県糸島市)、大国の奴國(春日市)を経て、…
3世紀に三国時代の中国・魏の使節が倭国を訪れた際の記録が『魏志倭人伝』。弥生時代後期に小国が群雄割拠しながら、邪馬台国の配下となっていた時代です。使節は朝鮮半島から対馬、壱岐を経て、末廬國(佐賀県唐津市)へ。さらに陸路で…
全国に広がった善光寺信仰は、本尊の一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)への信心。戦国時代に武田信玄、織田信長、豊臣秀吉も争奪戦を展開したありがたい仏様ですが、その善光寺如来を祀るのが本堂です。実はこの本堂にもトリック、仕掛け…
中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻、通称『魏志倭人伝』に記された魏(220年〜265年)の使節の記録。日本では弥生時代の末期、小国家が形成された時代です。朝鮮半島から対馬、壱岐を経て北九州の末盧國(現・松浦=佐賀…
3世紀の倭(日本)の女王の都が置かれた邪馬台国を探る手がかりとなる『魏志倭人伝』。その記述から朝鮮半島南部から対馬、壱岐を経て、北九州に至る行程がわかっていますが、九州で最初の訪問国となったのは、末廬國(まつらこく)。現…
いずれの宗派にも属さないという善光寺は、かつては「牛に引かれて善光寺参り」といわれましたが、今も全国から多くの信者を集めています。お戒壇めぐりのできる本堂(国宝)を急ぎ足で目指す人が多いのですが、実は参道には数々の仕掛け…
五稜郭(ごりょうかく)は、幕末に箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された西洋式(稜堡式)の城郭。函館を代表する観光スポットで、明治維新の際に官軍と旧幕府軍の攻防でも有名です。ところが、日本にはもうひとつ、五稜郭がありま…
全国の五重塔のなかで国宝に指定される塔は9塔、国の重要文化財に指定は13塔あります。さらに三重塔に国宝13塔、重要文化財43塔、多宝塔に国宝6塔、国の重要文化財35塔を数えます。そのなかで選ばれる「日本三名塔」は、法隆寺…
中国の歴史書『三国志』中にある『魏志倭人伝』は、3世紀後半に記された倭人の記録。朝鮮半島から海を渡ってますは對馬國(現・長崎県対馬市)へ。再び海路目指したのが一支國(いきこく)です。『魏志倭人伝』には「一大國」と記されて…
いずれの宗派にも属さないという善光寺。全国から善男善女が集まりますが、実は、参詣者を仏の世界に誘うための、感動の仕掛け、隠された様々なトリックが隠されています。そのトリックを紐解く企画。PART1は石畳に隠されたトリック…
『魏志倭人伝』は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。3世紀末に西晋の陳寿が記した3世紀の日本を知る貴重な史料です。朝鮮半島から対馬を経て「邪馬台国」(やまたいこく)への道筋ですが、倭国…
埼玉県にある巨大な古墳(前方後円墳)は、行田市の埼玉古墳群の二子山古墳を筆頭に、同じ埼玉古墳群の稲荷山古墳、そして東松山市の野本将軍塚古墳。この3基が埼玉県三大古墳ですが、埼玉古墳群は、埼玉県では唯一、関東地方にも13件…
北海道夕張市、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の南大夕張駅(みなみおおゆうばりえき)跡地を再生、沿線で産出される石炭の輸送や沿線住民の貴重な足として活躍した機関車や客車を保存する施設が、三菱大夕張鉄道保存車両。例年4月下旬〜11…
日本100名城、続日本100名城に選定される名城のうち、日本のさいはてに位置する城はどこでしょう。日本最東端・最北端の城はお城番号1番の根室半島チャシ跡群(北海道根室市)、そして最西端・最南端の城はお城番号100番の首里…
日本には、戦国時代末から江戸時代に建築された天守が、12ヶ所残されていますが、そのうち、国宝に指定されるのは、犬山城(愛知県犬山市)、松本城(長野県松本市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、そして松江城(…
現在、国内に戦国末期から江戸時代の木造天守が残るのは12ヶ所。「現存12天守」と呼ばれています。北から、弘前城、国宝松本城、丸岡城、国宝犬山城、国宝彦根城、国宝姫路城、国宝松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高…