中部地方にある100m以上の巨大古墳 全23基紹介
中部地方に築かれた100mを超える巨大古墳は、現存するのが23基。三重県が5基と多く、岐阜県が4基、愛知県と静岡県が3基と続いています。日本海側で最大は、秋常山1号墳(石川県)と、六呂瀬山1号墳(福井県)でともに墳丘長1…
中部地方に築かれた100mを超える巨大古墳は、現存するのが23基。三重県が5基と多く、岐阜県が4基、愛知県と静岡県が3基と続いています。日本海側で最大は、秋常山1号墳(石川県)と、六呂瀬山1号墳(福井県)でともに墳丘長1…
『前方後円墳集成』、『大和前方後円墳集成』によれば、国内にある前方後円墳の総数は約4700基。ヤマト王権のあった近畿地方3府県(奈良県、大阪府、京都府)は、合計642基。それに対して関東エリアには1579基(国内の34%…
戦前と戦後に広島と浜田を結ぶ鉄道として建設が進みながら、開通することなく廃線となった「幻の鉄道」が広浜鉄道。島根県側で浜田と石見今福間を結んだ今福線の遺構で、浜田市佐野町に残るユニークな音響スポットとして地元で話題になっ…
戦前と戦後に広島と浜田を結ぶ鉄道として建設が進みながら、開通することなく廃線となった「幻の鉄道」が広浜鉄道。島根県側で浜田と石見今福間を結んだ今福線の遺構で、ハイライトのひとつが浜田市佐野町に残される第一下府川橋梁・4連…
島根県浜田市宇津井町、広島と浜田を結び、戦前と戦後の2回にわたって中国山地を越える鉄道として工事が進んだのが、広浜鉄道。島根県側で浜田と石見今福間を結んだ未成線、広浜鉄道今福線遺構のなかで、島根県道301号(佐野波子停車…
島根県浜田市宇津井町、広浜鉄道今福線遺構のなかで、そのシンボル的な存在となっているのが4連アーチ橋。広浜鉄道は広島市と島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)を結ぶ鉄道として大正11年に予定線となり、戦前と戦後に浜田〜石見今福間…
関東(1都6県)にある100m以上の巨大古墳は、2024年12月現在で、59基。近年、開発で消滅した古墳もあり、60基を下回っていますが、神奈川県を除いて100m以上の古墳が存在しています。巨大古墳の多い県は群馬県で19…
円墳、方墳、前方後円墳など、いろいろな種類のある古墳ですが、なかには上円下方墳(じょうえんかほうふん)という耳慣れない古墳もあります。下段が方形、上段が円形という珍しいスタイルで、国内に数例しかありませんが、最大のものが…
与論島(よろんじま/鹿児島県大島郡与論町)は、奄美群島にある鹿児島県最南端の島。島の南部の高台にある与論城(よろんじょう、よろんぐすく)は、天然の断崖をそのまま城壁とする琉球風の城。中世は琉球・北山王の勢力圏内にあり、「…
34万人のお城ファンが利用する「ニッポン城めぐり」アプリの膨大なGPS位置情報ビッグデータ(2023年12月1日~11月30日のデータ)をもとに算出した、お城好きが実際に訪れた名城ランキングTOP300。2024年現在の…
長野県埴科郡坂城町(さかきまち)、しなの鉄道・坂城駅前にあるのが、169系S51編成静態保存。昭和43年に国鉄・信越本線の難所、横川駅~軽井沢駅間を走る電車として登場、急行「信州」、「志賀」としてユン用された急行用電車で…
34万人の会員を擁するGPS城郭スタンプラリーアプリ「ニッポン城めぐり」が、『お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2024年版)』を発表。お城好きが実際に訪れたお城が分かるランキングということで、城…
大王墓(天皇陵)は、天皇陵として宮内庁が管理する場合がほとんどで、周濠の外側に拝所が設けられ、内部は立ち入り不可になっています。そんななかで大王墓ながら自由に立ち入ることができるのが、大阪府高槻市にある今城塚古墳(いまし…
愛知県豊橋市牟呂地区にある境松遺跡(さかいまついせき)で、2022年に出土した独立棟持柱建物跡。東日本では3番目に巨大な独立棟持柱建物跡で、最も標高の高い丘の上に位置することから、神殿と推測され、五穀豊穣などを願う祭祀が…
後漢滅亡後、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)が分立した中国・三国時代。魏の使節が倭の女王、卑弥呼を目指した記録が、『魏志倭人伝』です。北九州・福岡県あたりまでは当時の王都も特定されているので、Google Map(グーグ…
『魏志倭人伝』には3世紀の倭の女王の都が置かれた邪馬台国(やまたいこく)を中心に、多くの国々が存在したことが記されています。対馬、壱岐をへて海路、北九州に至り、不彌国(ふみこく)から再び「水行二十日」という長旅で投馬國(…
3世紀、中国・三国時代の魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)のうち、魏の使節が倭国を訪ねた記録が『魏志倭人伝』。対馬、壱岐を経て九州・末盧國(佐賀県唐津市)に上陸後、陸路、伊都國(福岡県糸島市)、大国の奴國(春日市)を経て、…
3世紀に三国時代の中国・魏の使節が倭国を訪れた際の記録が『魏志倭人伝』。弥生時代後期に小国が群雄割拠しながら、邪馬台国の配下となっていた時代です。使節は朝鮮半島から対馬、壱岐を経て、末廬國(佐賀県唐津市)へ。さらに陸路で…