国学発祥の地碑
東京都千代田区外神田2丁目、神田神社(神田明神)境内に立つのが、国学発祥の地碑。伏見稲荷神社(現・伏見稲荷大社)の社家・荷田春満(かだのあずままろ)は、元禄13年(1700年)、勅使として江戸に派遣され、江戸に留まって神…
東京都千代田区外神田2丁目、神田神社(神田明神)境内に立つのが、国学発祥の地碑。伏見稲荷神社(現・伏見稲荷大社)の社家・荷田春満(かだのあずままろ)は、元禄13年(1700年)、勅使として江戸に派遣され、江戸に留まって神…
東京都千代田区丸の内1丁目、東京駅の18番・19番ホームの南端に立つのが、東京駅新幹線記念碑(鉄道建設記念碑)。昭和48年に東海道新幹線の建設に尽力した「新幹線の父」・第4代国鉄総裁の十河信二(そごうしんじ)のレリーフを…
東京(竹芝桟橋)~大島~神津島航路をメインに運航する東海汽船の大型貨客船「さるびあ丸」(6099t)。そのフィンスタビライザーに「さるびあハート」と呼ぶハートマークを付けたもの。ひょっとすると世界初かもしれないというフィ…
東京都荒川区南千住3丁目、隅田川の畔、白鬚橋近くにある古社が、石浜神社。神亀元年(724年)、聖武天皇の命によって創建されたと伝えられ、源頼朝が奥州征伐の際に戦勝を祈願するなど、関東武士の尊崇を集めた神社です。中世には一…
東京都荒川区南千住2丁目にある浄土宗の寺が、延命寺。昭和57年、小塚原刑場の傍らに開かれた小塚原回向院から分院独立し開山した寺で、境内には首切り地蔵と呼ばれる地蔵尊が祀られています。一帯は江戸時代に江戸に2ヶ所あった江戸…
東京都荒川区、日光街道沿い、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。境内にあるのが小塚原富士と呼ばれる富士塚。この塚があることから、一帯が小塚原と呼ばれるようになったという地名の由来で、神が降臨した塚を江戸時代後…
東京都荒川区、日光街道沿い、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。境内にあるのが矢立初めの句碑で、元禄2年3月27日(1689年5月16日)、46歳になった松尾芭蕉は、『奥の細道』の旅に千住から出発、最初の句を…
東京都荒川区、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。延暦14年(795年)、役小角(えんのおづぬ)の弟子・黒珍が、牛頭天王(ごずてんのう=素盞雄大神の本地仏で祇園精舎の守護神)、飛鳥権現が降臨した奇岩・瑞光石(…
東京都足立区千住橋戸町、隅田川に架る千住大橋の北詰、千住大橋公園に立つのが、奥の細道・矢立初の碑(おくのほそみちやたてはじめのひ)。矢立初とは旅行記などの書き初めの意。元禄2年「弥生も末の7日」松尾芭蕉は『奥の細道』に、…
東京都千代田区有楽町2丁目、数寄屋橋公園近くにあるのが、明治大学発祥の地記念碑。明治大学というと神田駿河台のイメージがありますが、明治14年1月17日、麹町区数寄屋橋の一角、旧島原藩上屋敷「三楽舎」を校舎に明治法律学校と…
東京都千代田区神田錦町3丁目、結婚式にも使われる学士会館の前に立つのが、東京大学発祥の地碑。東大は本郷キャンパスが有名ですが、明治10年4月12日、東京開成学校と本郷元富士町にあった東京医学校が合併して、この場所に東京大…
東京都中央区日本橋室町1丁目、日本橋の北詰、国道14号を隔てて、日本国道路元標複製の反対側(東側)に立つのが、日本橋魚市場発祥の地碑。江戸時代、佃島の漁師たちがここで魚を売り始めたのが日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)の…
東京都中央区銀座2丁目、ティファニー銀座本店前に立つのが、銀座発祥の地。ティファニー(Tiffany & Co.)の建つあたりが、江戸時代に貨幣鋳造と銀地金の売買が行なわれた銀座役所のあった地。寛政12年(180…
東京都中央区日本橋1丁目、日本橋郵便局の一画にあるのが、郵便発祥の地碑。明治4年3月1日(1871年4月20日)、郵便事業開始とともに江戸橋南詰に開設されたのが駅逓司(えきていし=現在の郵政省)、四日市郵便役所(現在の日…
東京都港区三田4丁目、二本榎通り・聖坂と伊皿子坂の交差点に立つのが、歯科医学教育発祥の地碑(歯科医学教育発祥之地碑)。アメリカ留学を終えた高山紀齋(たかやまきさい)は、明治23年1月、芝区伊皿子町70番地に高山歯科医学院…
東京都中央区新川1丁目、隅田川に架る永代橋(えいたいばし)の西詰に立つのが、船員教育発祥の地碑。明治維新後、鎖国時代が続いたことから欧米列強との大きな差があったのが海運力。そのため、明治8年11月、「三菱商船学校」が隅田…
東京都港区港南4丁目、東京海洋大学品川キャンパスの漁業機械学実験実習棟横、天王洲運河沿いに静態保存されるのが、雲鷹丸(うんようまる)。明治42年5月、東京水産大(東京商船大学と合併、現・東京海洋大)の前身、農商務省水産講…
東京都江東区越中島2丁目、東京海洋大学越中島キャンパス内にある関東大震災後の昭和7年、東京商船学校1号館として建てられた建物が現存。東京高等商船学校時代には本館と呼ばれていた建物で、国の登録有形文化財になっています。