マウントジーンズ那須が2024年3月10日で閉業!
東急リゾーツ&ステイが栃木県那須郡那須町で運営するマウントジーンズ那須。冬はスキー、グリーンシーズンは那須ゴンドラで知られるリゾートですが、温暖化による雪不足などを背景に、2024年3月10日に閉業、平成6年にオープ…
東急リゾーツ&ステイが栃木県那須郡那須町で運営するマウントジーンズ那須。冬はスキー、グリーンシーズンは那須ゴンドラで知られるリゾートですが、温暖化による雪不足などを背景に、2024年3月10日に閉業、平成6年にオープ…
長野駅〜須坂駅〜信州中野駅〜湯田中駅間の長野電鉄長野線に走る特急列車で使われるのが、小田急ロマンスカー10000形「HiSE」、成田エクスプレス(253系)で、小田急やJRをお役御免となった後、長野電鉄で余生を送っていま…
JR四国には当然ですが新幹線はありません。それでも新幹線と間違えるような車両を目にしますが、これがJR四国8000系電車。JR四国初の特急電車として平成4年3月に試作車の運用が始まり、平成5年3月18日のダイヤ改正で特急…
立山黒部アルペンルート途中、立山連峰をトンネルで抜ける立山トンネルトロリーバス。トロリーバスは無軌条電車ということで、鉄道の扱い。そのため標高2450mという高所にある室堂ターミナルは、日本最高所の駅になっています。電気…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが鑑真が開いた唐招提寺の金堂で、9世紀初頭まで…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのひとつが、平城宮跡「平城宮跡の空」。国営平城宮跡歴史公園(…
東急電鉄の池上線(五反田駅〜蒲田駅)と東急多摩川線(蒲田駅〜多摩川駅)の間を運行しているのが、レトロ車両の「きになる電車」。昭和20年代に池上線と目蒲線(現在の目黒線・東急多摩川線)に走っていた車両(東急3000系初代)…
JR東海ツアーズが、東海道新幹線の「こだま」利用限定で設定する片道新幹線のきっぷが「ぷらっとこだま」。注目は、1ドリンク引換券が付いていることと、東京・品川〜名古屋ならプラス800円、京都・新大阪までならプラス120…
JR東日本は、2024年2月14日(水)〜3月14日(木)の平日限定で、新幹線、特急を含め普通車自由席に平日限定の乗り放題パス「旅せよ平日!JR 東日本たびキュン♥早割パス」発売します。有効期間は1日で、大…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、薬師寺「南大門付近からの白鳳伽藍全景」。東…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、元興寺「日本最古の屋根瓦」。「元興」は、日本…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、春日山原始林「滝坂の道」。滝坂の道は、柳生街…
東武特急の「スペーシア X」を筆頭に、首都圏では鉄道旅行に最適の特急が運転されています。京王と京急は通勤にも使っている車両を土休日に座席指定特急で運転。その他は専用車両で運転され、いずれも全車指定席。乗車時間は短くても、…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが春日大社「春日鳥居の前でたたずむ鹿」。春日大…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが興福寺「若草山からの興福寺遠望」。興福寺のシン…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが東大寺「二月堂の眺め」。国宝に指定される二月堂…
全国的にも珍しいナローゲージ(特殊狭軌)の北勢線で知られる三岐鉄道。四日市市の近鉄富田駅(きんてつとみだえき)と西藤原駅を結ぶ26.5kmの三岐線では、西武鉄道の旧形電車が大活躍。元西武701系が801系と851系、40…
明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変。天正10年6月1日(1582年6月21日)、丹波亀山城(京都府亀岡市)を出陣した明智光秀が発した言葉が「敵は本能寺にあり」といわれていますが、同時代の史料には裏付けはありません…