北海道水田発祥の地
江戸時代、米を産しない蝦夷地(えぞち=北海道)で松前藩は鰊(ニシン)を「鯡」(魚に非ず)と記して、主産物として北前船で内地へと送って藩財政を支えました。それでも松前藩は、米作への探求を行ない、大野平野(現・北斗市)に水田…
江戸時代、米を産しない蝦夷地(えぞち=北海道)で松前藩は鰊(ニシン)を「鯡」(魚に非ず)と記して、主産物として北前船で内地へと送って藩財政を支えました。それでも松前藩は、米作への探求を行ない、大野平野(現・北斗市)に水田…
北斗市街の西に位置する八郎沼を中心とした公園。明治11年、開拓使を退職して大野に移住し、明治13年頃から酪農を始めた伊予国新谷藩(愛媛県大洲市)出身の士族、山田致人が、牛の飲料用にと、池を掘って水を蓄えたのが八郎沼の始ま…
北斗市にある絶景で有名な「きじひき高原」。木地挽山(683m)の山上に広がる高原で、北斗市公共育成牧場の牧草地になっていますが、少し穴場の展望台が噴火湾展望台。北斗市市街から入山の場合は「きじひき高原パノラマ展望台」を越…
木地挽山(683m)の山腹に広がる330haの北斗市公共育成牧場。牧草地が広がるきじひき高原は、駒ヶ岳と大沼、小沼、じゅんさい沼など大小の沼、さらには函館市街、函館山、津軽海峡を箱庭のように眺める展望地。きじひき高原の函…
北斗市の標高683mの木地挽山の中腹に広がるきじひき高原。きじひき高原キャンプ場から2kmほど上った北杜市公共育成牧場のなかのもっとも眺望のいい場所(仁山高原上部の標高550m地点)には、駐車場完備のパノラマ眺望台があり…
正式名称は「厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」で、北斗市三ツ石の高台に建つ厳律シトー会(トラピスト会)の修道院。明治29年にフランス人修道士ジェラル・プーリエらが仮修道院を建てたのが始まりで、日本最初の修道院とし…
姥神大神宮の創建は定かでありませんが地元の折居という名の老女(天変地異を未然に知らせる老女)を折居様と崇めたことに由来し、1447(文安4)年といわれています。つまりは北海道最古の神社。有名な『渡御祭』(8月9日〜11日…
江差の古い家並みの並ぶ旧国道1.1kmを「いにしえ街道」として整備していますがその拠点となる施設が江差町会所会館。旧江差町役場本庁舎は、北前船で繁栄する江差の町民が拠出した財源で、1845(弘化2)年に町会所(町役所)と…
江戸時代から明治30年代まで、江差で廻船問屋を営み松前藩きっての豪商だったのが関川家。関川家は初代・関川与左衛門が天和年間(1681年~1684年)に越後国頚城郡関川村(現在の新潟県妙高市関川)から松前城下に移って醸造業…
江戸時代に松前藩が交易を認めた湊は、江差、松前、箱館(函館)の3ヶ所。江差以北の産物は、明治3年に北前船が小樽まで延伸されるまで、江差に集中して集まることになり江差の湊には廻船問屋が軒を連ねました。その1軒が旧中村家住宅…
松前町にある北海道最南端の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置しています。対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていれば本州を眺望します。国内で見ることができる野鳥500種類のうち…
明治20年11月、檜山爾志郡役所(ひやまにしぐんやくしょ)兼江差警察署庁舎として落成した道内唯一現存する郡役所の庁舎。檜山爾志郡役所は、1678(延宝6)年、江差地方に自生する檜、翌檜(アスナロ)の伐採取締番所として、檜…
北海道上ノ国町にある和人の北海道進出とともに創建された古社。1473(文明5)年、武田信広が勝山館内に館神として創建(勝山館跡に館神八幡宮として残る)。蠣崎(かきざき=後の松前)氏の祈願所で、毘沙門天王社(砂館神社)、医…
勝山舘跡の山麓に建つ上國寺は、1443(嘉吉3)年、真言宗の僧、秀延阿闍梨(しゅうえんあじゃり)創建という古刹。創建と伝えられる1443(嘉吉3)年は、津軽相内の安藤盛季が南部氏との戦いに敗れて夷島(えぞがしま=中世の北…
笹浪家は上ノ国で代々鰊漁などを営んできた旧家。初代は享保年間(1716年~1735年)に能登国珠洲郡笹波村(ささなみむら=現・石川県珠洲市笹波町)から松前福山に渡り、その後、上ノ国に移り住んだのだとか。現存する建物は、1…
上ノ国町(かみのくにちょう)の中世の天然の良港、大澗(おおま)の西、大澗ノ崎にある道の駅。国道228号は夷王山の山麓を走りますが夷王山の北麓に位置するのが道の駅上ノ国もんじゅ。1階には水産加工品や農産物を直売する物産販売…
上ノ国町の夷王山(いおうざん)山上に広がる中世の館跡、勝山館跡。館跡の周辺に白い杭が立っていますが、これは中世の山城、勝山館に暮らした和人(注/和人という言葉は18世紀末に徳川幕府が東蝦夷地を直轄した以降に見られる比較的…
源頼朝が石橋山の戦いに破れ、命からがら手勢を引き連れて房総半島へと逃れますが、その時上陸した地点には諸説あり定かでありません。そのなかで最有力で、千葉県も「源頼朝上陸地」と認定するのが鋸南町竜島です。上陸した地と推測され…