宇倍神社
648(大化4)年創建と伝わる古社で因幡国(いなばのくに)の一之宮。平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の因幡国唯一の名神大社(みょうじんたいしゃ/名神=神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号)。つまりは…
648(大化4)年創建と伝わる古社で因幡国(いなばのくに)の一之宮。平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の因幡国唯一の名神大社(みょうじんたいしゃ/名神=神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号)。つまりは…
弥生時代から古墳時代の大規模な集落跡が遺跡公園として保存されている福市遺跡公園の入口に建つミュージアム。米子市内の福市遺跡、青木遺跡、池ノ内遺跡、陰田隠れが谷遺跡、目久美遺跡、上福万遺跡などから出土した貴重な遺物を展示し…
日野川と法勝寺川の合流地点に臨むなだらかな福市丘陵(標高25m内外の長者原台地)にある弥生時代後期から古墳時代中期にかけての日本最大規模の村落群と古墳群跡。住居跡の数は100戸にも及び、村全体がそのままのかたちで発掘され…
八頭郡若桜町にある修験道の寺。間口7m、高さ13m、奥行10mの自然の洞窟にすっぽり収まるように建てられた舞台造りの密教建築物が岩屋堂で、国の重要文化財。三徳山三佛寺(鳥取県三朝町)の国宝・投入堂、龍岩寺奥院礼堂(国の重…
「伯耆古代の丘」にある資料館。上淀廃寺跡から出土した法隆寺金堂壁画と並ぶ日本最古級の白鳳時代の彩色壁画など、米子市淀江町の古墳・廃寺跡からの出土品を展示しています。上淀廃寺跡は、白鳳期(飛鳥時代後期)の古代寺院で、第3展…
伯耆古代の丘公園(米子市)の東500mの場所にある古代の寺院跡。日本最古級の彩色壁画が出土したことで有名です。上淀集落東側の高台にある名前の不詳の寺院という意味で「上淀廃寺」と呼ばれており、調査の結果、白鳳時代の寺だとい…
倉吉の旧市街地にある曹洞宗の名刹で、1605(慶長10)年の創建。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルともなった里見忠義の終焉の地としても知られる寺で、境内には里見忠義と『南総里見八犬伝』のモデルといわれる家臣の墓があり…
倉吉市の打吹山の中腹にある長谷寺は、戦国時代の争乱で堂宇の大部分を焼失していますが、本尊十一面観音を祀る観音堂(本堂)だけが焼失を免れ、ますます観音像信仰を集めるようになったという古刹。室町時代から明治時代までの絵馬群6…
智頭町にある神社で、全国でも類いまれな杉の霊を祀っている神社。渓谷を囲む杉木立の中に、白木の板を斜めに組んで大きな三角形を作った斬新なデザインの社殿を配しています。
興禅寺は鳥取歴代藩主の菩提寺として創建された黄檗(おうばく)宗の寺(創建時は臨済宗妙心寺派の寺)。1632(寛永9)年、鳥取藩の藩祖である池田光仲(いけだみつなか)が岡山から転封になった際、伯父で初代岡山藩主・池田忠継の…
鳥取市が市街の北東に位置する摩尼山(357m)は古くから亡くなった人の霊魂が集まる場所と信仰されていた場所。その摩尼山の西麓に834(承和元)年、円仁(慈覚大師)が創建した古刹が摩尼寺。摩尼山中には帝釈天(たいしゃくてん…
1650(慶安3)年、鳥取初代藩主・池田光仲が、東照大権現(徳川家康の神号)を祀る因幡(いなば)東照宮として創建したもの。池田光仲は、徳川家康の曾孫(父・池田忠雄の母が徳川家康の次女・督姫)にあたり、別姓は松平。明治7年…
706(慶雲3)年、修験道の開祖である役行者が開山と伝えられる三朝町の古刹。849(嘉祥2)年、円仁(慈覚大師)が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊を安置したので、天台宗の寺、三徳山三佛寺となりました。三徳山(みとくさ…
大山の北山腹、琴浦町にある標高615.6mの山。頂上は広く平坦で、東西と北は断崖になっており、とくに東側は高さ100mもの溶岩壁、屏風岩がそびえ立つ天然の要塞。切り立った岩場から、雄滝(おんたき)と雌滝(めんたき)に分か…
桝水高原と大山中腹の展望台とを結ぶ観光リフト。標高730mの桝水高原から、全長490m、標高差140mを6分30秒で結ぶ第3リフトをグリーンシーズンに観光リフトとして運転。ひざ掛け・傘の貸し出し、ペット同乗可能というリゾ…
大山の西麓に広がる高原が桝水高原(ますみずこうげん)。北壁が印象的な大山寺周辺、南壁が立ちはだかる鍵掛峠とは異なり、富士のような裾野を美しく広げる大山を間近に仰ぐことができる絶景の地です。昆虫や野鳥、植物の宝庫で、お花畑…
大山山麓を走る山の手通りと大山ビューラインの交差点にある施設で、観光案内、山陰のお土産コーナーのある本館のほか、新鮮野菜も販売するマルシェきしもと「生鮮特産品販売所」、農産加工品を販売する「アグリスペース」、鳥取和牛を炭…
後醍醐天皇は1333(元弘3・正慶2)年、名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から命がけで脱出し、名和の湊(現・御来屋漁港)に上陸。後醍醐天皇が体を休めるため、海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えから、この岩を「お…