大岳院
倉吉の旧市街地にある曹洞宗の名刹で、1605(慶長10)年の創建。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルともなった里見忠義の終焉の地としても知られる寺で、境内には里見忠義と『南総里見八犬伝』のモデルといわれる家臣の墓があり…
倉吉の旧市街地にある曹洞宗の名刹で、1605(慶長10)年の創建。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルともなった里見忠義の終焉の地としても知られる寺で、境内には里見忠義と『南総里見八犬伝』のモデルといわれる家臣の墓があり…
倉吉市の打吹山の中腹にある長谷寺は、戦国時代の争乱で堂宇の大部分を焼失していますが、本尊十一面観音を祀る観音堂(本堂)だけが焼失を免れ、ますます観音像信仰を集めるようになったという古刹。室町時代から明治時代までの絵馬群6…
智頭町にある神社で、全国でも類いまれな杉の霊を祀っている神社。渓谷を囲む杉木立の中に、白木の板を斜めに組んで大きな三角形を作った斬新なデザインの社殿を配しています。
興禅寺は鳥取歴代藩主の菩提寺として創建された黄檗(おうばく)宗の寺(創建時は臨済宗妙心寺派の寺)。1632(寛永9)年、鳥取藩の藩祖である池田光仲(いけだみつなか)が岡山から転封になった際、伯父で初代岡山藩主・池田忠継の…
鳥取市が市街の北東に位置する摩尼山(357m)は古くから亡くなった人の霊魂が集まる場所と信仰されていた場所。その摩尼山の西麓に834(承和元)年、円仁(慈覚大師)が創建した古刹が摩尼寺。摩尼山中には帝釈天(たいしゃくてん…
1650(慶安3)年、鳥取初代藩主・池田光仲が、東照大権現(徳川家康の神号)を祀る因幡(いなば)東照宮として創建したもの。池田光仲は、徳川家康の曾孫(父・池田忠雄の母が徳川家康の次女・督姫)にあたり、別姓は松平。明治7年…
706(慶雲3)年、修験道の開祖である役行者が開山と伝えられる三朝町の古刹。849(嘉祥2)年、円仁(慈覚大師)が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊を安置したので、天台宗の寺、三徳山三佛寺となりました。三徳山(みとくさ…
大山の北山腹、琴浦町にある標高615.6mの山。頂上は広く平坦で、東西と北は断崖になっており、とくに東側は高さ100mもの溶岩壁、屏風岩がそびえ立つ天然の要塞。切り立った岩場から、雄滝(おんたき)と雌滝(めんたき)に分か…
桝水高原と大山中腹の展望台とを結ぶ観光リフト。標高730mの桝水高原から、全長490m、標高差140mを6分30秒で結ぶ第3リフトをグリーンシーズンに観光リフトとして運転。ひざ掛け・傘の貸し出し、ペット同乗可能というリゾ…
大山の西麓に広がる高原が桝水高原(ますみずこうげん)。北壁が印象的な大山寺周辺、南壁が立ちはだかる鍵掛峠とは異なり、富士のような裾野を美しく広げる大山を間近に仰ぐことができる絶景の地です。昆虫や野鳥、植物の宝庫で、お花畑…
大山山麓を走る山の手通りと大山ビューラインの交差点にある施設で、観光案内、山陰のお土産コーナーのある本館のほか、新鮮野菜も販売するマルシェきしもと「生鮮特産品販売所」、農産加工品を販売する「アグリスペース」、鳥取和牛を炭…
後醍醐天皇は1333(元弘3・正慶2)年、名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から命がけで脱出し、名和の湊(現・御来屋漁港)に上陸。後醍醐天皇が体を休めるため、海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えから、この岩を「お…
大山寺へと通じる古道のひとつ、横手道途中にある大山を仰ぐ絶景の地が御机(みつくえ)。一般にはさほど有名ではありませんが、大山南壁を被写体にするカメラマンや、スケッチをする人には人気のスポットになています。それは手前に茅葺…
古代の人々は霊峰・大山(だいせん)のことを大神山(おおかみのたけ)と呼んで崇めていました。その大山信仰の中心が大神山神社でもともとは大神山を仰ぐ遙拝所。本来の社で大山山腹にある奥宮(おくみや)と、遥拝所である米子市の尾高…
鳥取県道45号(倉吉江府溝口線)沿い、標高912mに位置する展望駐車公園。大山を一周する大山環状道路の最高地点でもあり、目の前に一ノ沢、二ノ沢、三ノ沢のブナの森、その上に大山南壁の断崖が聳えます。ブナの紅葉・新緑と断崖と…
山陰本線最古の駅舎として知る人ぞ知る存在の御来屋駅(みくりやえき)に併設の直売所が「みくりや市」。道の駅大山恵みの里を運営する(財)大山恵みの里公社(旧大山町地域振興会)の経営。「日本でも珍しい駅内マルシェ」をキャッチフ…
明治35年に山陰鉄道西線・御来屋駅(みくりや)〜境駅(現在の境港駅)間の開通で開業した駅。現存する駅舎は開業当時のもので、山陰最古の駅舎となっています。平成14年に山陰鉄道発祥100周年を記念して駅舎は修築され、山陰本線…
大神山神社奥宮のすぐ横に鎮座する奥宮の末社で、1330(元徳2)年、大神山神社を尊崇する備中郡司・渡邊日向の守の子、渡邊照政が参拝の帰路に不慮の事故で亡くなり、それを哀れんだ大山下山の人々が下山善神を建立したのが始まりと…