千葉市美浜区の県立幕張海浜公園Cブロックにある面積1.6ha、平成2年開園の日本庭園。「日本の伝統的文化を表現し、接してもらうこと」を目的に造園された池泉回遊式庭園で池の畔に数寄屋造りの茶室「松籟亭」(しょうらいてい)が建っています。
県立幕張海浜公園にある日本庭園
近代的なビル群に囲まれた都会のオアシスが見浜園。京都の北山杉を用いた本格的な茶室で呈茶(お茶のかんばやしの抹茶と老舗とらやの和菓子)も楽しめます。
千葉市美浜区ながら美浜園ではなく見浜園という名が付けられているには、ワケがあります。
平安時代中頃に記された『更級日記』(さらしなにっき)の作者、菅原孝標の女(むすめ)は、父が上総介(かずさのすけ)として上総国の国府(現在の市原市)に赴任したのに帯同して上総国へ。
任期が終了した1020年(寛仁4年)9月、京に戻る頃に『更級日記』を始めています(13歳の頃です)。
9月3日に上総国の国府(市原市)を出立。9月17日に下総の「くろとの浜」に宿泊し、次なる歌を詠んでいます(『更級日記』のなかで二番目に出てくる歌)。
その夜は、くろとの浜といふ所にとまる。片つ方かたはひろ山なる所の、砂子すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじう明かきに、風の音もいみじう心ぼそし。人々をかしがりて歌よみなどするに、
「まどろまじ 今宵ならでは いつか見む くろとの浜の 秋の夜の月」
((その夜は、くろとの浜と言う所に泊まった。片側にはひろ山と言う高台があり、白い砂浜がどこまでも広がっている。そして松原が茂り、月がとても明るいので、吹く風の音さえ心細い。その風情に人々が興を誘われ和歌を詠むので私も、まどろんでなどいられない。「今夜でなければ、いつ見られると言うのだろうこの美しいくろとの浜の秋の月夜を」)
この「くろとの浜」は千葉市稲毛区の黒砂地区ではないかと推測されています。
今では海に面していませんが、昭和37年に埋立が始まるまでは、国道14号が海岸線を走っていました。
つまりは、現在の国道から西は海だったのです。
話は長くなりましたが、この『更級日記』に記された「くろとの浜」の菅原孝標の女(むすめ)の想いを見浜園という名に込めているのだとか・・・。
日本庭園「見浜園」 | |
名称 | 日本庭園「見浜園」/にほんていえん「みはまえん」 |
所在地 | 千葉県千葉市美浜区ひび野2-116 |
関連HP | 幕張海浜公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR海浜幕張駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東関東自動車道湾岸千葉ICから約1.9km。湾岸習志野ICから約3.8km。または、京葉道路幕張ICから約4.1km |
駐車場 | 幕張海浜公園Cブロック駐車場(47台/有料)、Bブロック駐車場(92台/有料)、Aブロック駐車場(63台/有料)、営業時間が異なるため注意 |
問い合わせ | パークセンター管理事務所 TEL:043-296-0126/FAX:043-296-0128 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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