千葉県南房総市加茂にある、日蓮ゆかりの古刹が日運寺。創建は定かでありませんが当初は勝栄坊という真言宗(天台宗という説も)の寺だったとか。文永元年(1264年)、日蓮が配流先の伊豆国伊東から小湊に戻る途中、勝栄坊と称する小さな堂に止宿。堂主・行然が日蓮の人得と高説に敬服し日蓮宗に改宗したと伝わります。
勝浦正木氏の菩提寺
日蓮は鎌倉幕府へ『立正安国論』を上呈し、浄土教信徒の弾圧を受け、鎌倉幕府からも咎めがあり、伊豆に配流されていたのです。
伊豆から帰途、小湊に戻る途中に止宿したのが勝栄坊。
里見氏の家臣で安房国勝浦城を守り(勢力拡大のため北条氏政に通じたことも)、上総国に勢力を伸ばした正木時通(まさきときみち)は、元亀2年(1571年)、勝栄坊を再興、勝栄山日運寺と改め、勝浦正木氏の菩提寺となりました(正木時通の法号が日運)。
正木時通、正木頼忠兄弟の墓は、南房総市の史跡になっています。
寺に墓のある正木頼忠は、正木時通の弟で、その子・お万(養珠院)は、家康の側室となり、紀州徳川家の祖・徳川頼宣(とくがわよりのぶ/徳川家康の十男)、水戸徳川家の祖・徳川頼房(とくがわ よりふさ/徳川家康の十一男)の生母です。
日鑑上人入定窟(南房総市の史跡)は、天明5年(1785年)、夏の異常旱魃で村人が困り果てた際、日鑑上人は21日間この窟に籠もり雨乞祈願をし村人を救った岩窟で、文化5年(1808年)には、この岩窟で入滅。
朱塗りの仁王門は享保11年(1726年)の再建。
大正12年の関東大震災で多くの堂宇が倒壊し、本堂は昭和12年の再建。
寺は、「房州のあじさい寺」として知られ、約2万株が植栽され、例年6月下旬~7月上旬に見頃に。
日運寺の南、車で6分ほどの場所には商売繁盛・金運上昇の大黒天として知られる真野寺があります。
日運寺 | |
名称 | 日運寺/にちうんじ |
所在地 | 千葉県南房総市加茂2124 |
電車・バスで | JR内房線南三原駅から館山行き日東バスで加茂坂下下車、徒歩8分 |
ドライブで | 富津館山道路富浦ICから約13km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 日運寺 TEL:0470-46-2196 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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