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船橋大神宮(意富比神社)

意富比神社(おおひじんじゃ)が正式名ですが、船橋大神宮(ふなばしだいじんぐう)と通称される、平将門、源頼朝、徳川家康ゆかりの名社です。社伝によれば、日本武尊の東征の折に祈願したことがルーツで、延喜式神名帳に「葛餝郡意富比神社」として記載される古社。

創建は神代の時代に遡る古社

社伝では、景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊の東征の際に、東国平定の成就を祈願したのに始まるという古社。古に太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られ、地域の漁民の尊崇を集めました。

現在の船橋市南部から中央部一帯には、平安時代に夏見御厨(なつみのみくりや=船橋御厨)という神宮(伊勢神宮)の御厨(みくりや=献上する農産物などを生産する荘園)が設立し、平安末期には湊郷、夏見郷、金曾木郷、宮本郷、高根郷の5郷がありました。

その夏見御厨(船橋御厨)の鎮守社として夏目郷に神明社(現在の日枝神社=千葉県船橋市夏見2-29-22・八栄小学校の西側=船橋大神宮の元宮とも)が創建されますが、室町時代に荘園制度の終了とともに荒廃。意富比神社に合祀されます。

その後、伊勢信仰の隆盛もあってもともとの「意富比神(大日神)」よりも伊勢神宮の祭神、天照皇大神に対する信仰の方が強くなり、船橋大神宮と呼ばれるように。

拝殿から本殿を眺望

平将門、源頼朝、徳川家康、日蓮上人ゆかり

平将門、源頼朝、徳川家康との結びつきも強く、鎌倉時代には、源義朝が神社を再建し、日蓮が宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納しています。

境内にある常盤神社には家康の歯を納めた家康木造が安置され、10月の『例大祭』に奉納される相撲は、天正18年(1590年)、相撲好きな徳川家康の前で披露したのが始まりとか。

神官は中世から土地の豪族である千葉氏系の豪族富氏が宮司を務め、現在も宮司は千葉さん(千葉姓)。

「関東のお伊勢様」と呼ばれる芝大神宮(東京都港区)、伊勢山皇大神宮(横浜市西区)、所澤神明社(埼玉県所沢市)、「東京のお伊勢様」の東京大神宮(東京都千代田区)と並ぶ「お伊勢様」になっています。

境内には灯台の機能をもっていた明治の灯明台も
船橋大神宮(意富比神社)
名称船橋大神宮(意富比神社)/ふなばしだいじんぐう(おおひじんじゃ)
所在地千葉県船橋市宮本5-2-1
関連HP船橋大神宮公式ホームページ
電車・バスで京成本線大神宮下駅から徒歩4分
ドライブで京葉道路船橋IC、または、花輪ICから約2km
駐車場あり/無料
問い合わせ船橋大神宮 TEL:047-424-2333/FAX:047-424-2334
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

船橋大神宮灯明台

千葉県船橋市、船橋大神宮の境内にある明治13年に設置された歴史ある灯明台(とうみょうだい=灯台の前身)が、船橋大神宮灯明台。慶応4年(1868年)、戊辰戦争の戦火で船橋大神宮にあった常夜灯が焼失し、代わって築かれたのが船橋大神宮灯明台。千葉

船橋大神宮で『例大祭』(神楽奉納・奉納相撲大会)

毎年10月20日、船橋市の船橋大神宮で『例祭』が齋行される。船橋大神宮の例祭に、神楽(かぐら)と喧嘩相撲(けんかずもう)と呼ばれる相撲大会が奉納されます。神楽は7座ほどが演じられます。例大祭に神楽7座が奉納される船橋大神宮の正式名は意富比神

 

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