千葉県成田市本町、京成成田駅と成田山新勝寺総門前を結ぶ「電車道」にあるレンガ造りのトンネルが成宗電車第一トンネル。明治43年12月11日に成田山新勝寺と宗吾参道という2つの霊場を結んで開通した成宗電車(せいそうでんしゃ=成宗電気軌道)のトンネルで、その廃線跡が「電車道」です。
レンガ造りの隧道を道路トンネルに転用
「電車道」と呼ばれる成田市道新葉石門前線は、戦時下の昭和19年12月11日、線路の鉄の軍需利用を目的に線路が撤去されて廃線に。
成宗電車第一トンネルは、イギリス積みのレンガ造りで、全長12.2m、幅7.3m、アーチ環半径3.5m、アーチ環腰高1.5m。
施工は野村組(現・フジタ)ですが、設計者はわかっていません。
当初は、参道に軌道を敷設しようと考えましたが、人力車業者(150台の人力車が成田鉄道成田駅から新勝寺まで行き来していました)、そして参道沿いの旅館や土産店が客を奪われるのを恐れて、反対運動を展開し、別ルートへの変更を余儀なくされ、第一トンネル、第二トンネルが掘削されています。
第一トンネルは建設当時の原型を活かして、市道のトンネルとしてそのまま利用されており、土木学会選奨土木遺産にもなっています。
JR成田線と「電車道」との立体交差も、往時の成田鉄道(現・JR成田線)と成宗電車の雰囲気を今に伝えています。
千葉県初の電車、成宗電車(成宗電気軌道)
明治43年12月11日に、地元の人力車業者、参道に並ぶ旅館や土産物店の反対を受けながら開通した成宗電車(せいそうでんしゃ=成宗電気軌道)には、不動尊(開業当初、成田山門前)〜幼稚園下 〜京成電車前 〜本社前〜 論田(ろんでん) 〜新田(しんでん)〜大袋〜宗吾(そうご)の5.3kmと、本社前 – 省線駅前(後、成田駅前)の0.1kmという2線があり、軌間は、狭軌の4フィート6インチ軌間(軌間1372mm)。
門前駅~宗吾駅は、沿線の山を切り崩した土で田んぼを埋め立て、盛り土した上に軌道を敷設する工事でしたが、盛り土部分が沈下して明治44年1月7日に開通しています。
また、明治43年9月5日には、宗吾霊堂の境内を借りて設けていた飯場からの失火で、宗吾霊堂や門前町の大半の民家を焼失させてしまい、敷設反対運動に火を注いでいます(そのため野村組は、宗吾霊堂の再建時に、無料奉仕で境内を整地)。
実は、この成宗電車(成宗電気軌道)が、千葉県内に走った最初の電車軌道です(千葉県初のナローゲージの電気鉄道)。
当時の成田鉄道成田駅(現・JR成田駅)の乗降客は、千葉駅よりも多く、千葉県随一でした(明治36年の統計では、成田駅53万3468人、千葉駅48万2935人)。
成宗電車第一トンネル | |
名称 | 成宗電車第一トンネル/せいそうでんしゃだいいちとんねる |
所在地 | 千葉県成田市本町上町地先 |
電車・バスで | JR成田駅・京成成田駅から徒歩10分 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag