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浮島

浮島

千葉県鋸南町の勝山海岸から1.1kmの沖合にある周囲792m、標高60m、面積6216坪の無人島が、浮島。「日本最後の原始の島」と呼ばれるのは、通常は立ち入ることができず、原生林で覆われているから。島には浮島神社が鎮座しています。

勝山沖に浮かぶ無人島は古代からの伝説を残す聖なる島

7月第2土・日曜の浮島神社祭礼には、漁船を使って浮島周辺を一巡することができます。
従来は島渡りが行なわれていましたが、今は参道が崩れて上陸できません。
頂上の浮島神社は、景行天皇、日本武尊(やまとたけるのみこと)、その妃(きさき)である弟橘媛(おとたちばなひめ)、磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)が祀られていました。

現在は勝山地区の加知山神社に合祀され、毎年7月の『勝山地区祭礼』の日曜、加知山神社から浮島神社へと御霊の島渡しが行なわれ、この日だけ浮島神社に御霊が戻ります(夕方には加知山神社へと還御)。

TBS金曜ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(主演・山田孝之)第5話「忍び寄る影」で「夢島」として登場したのが、実はこの浮島です。

奈良時代の古記録で、朝廷の内膳司に仕えた高橋氏が記したという、『高橋氏文』(たかはしうじぶみ)では、
「景行天皇53年10月に景行天皇が上総国の安房浮島宮に至った際、磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)は皇后の命で『カクカクと鳴く鳥』を捕らえようとしたが果たせませんでした。しかし堅魚と白蛤を得たので皇后に捧げると、天皇に献上するよう命じられます。そこで磐鹿六鴈命は无邪志国造(むさしのくにのみやつこ=古代に武蔵国東部を支配した国造)上祖の大多毛比、知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ=武蔵国西部にあった知々夫国を支配した国造/現在の秩父地方)上祖の天上腹と天下腹らを呼び寄せ、膾・煮物・焼物を作って献上しました」
と記されています。

『日本書紀』にも、景行天皇53年秋8月、大和を発った天皇は、10月に上総に至り海路安房へ渡り、浮島に行宮を設けてしばらく滞在と記されています。
この安房浮島宮があったのが浮島とする説もありますが定かでありません。

『日本書紀』、『古事記』に記載される淡水門(あわのみなと)は浮島あたりと比定されています。

浮島の属島には、奇勝大ボッケ・小ボッケがあります。

一帯はツチクジラの回遊する海域で、勝山には鯨組が組織され、6月〜8月に船を出し銛(もり)で仕留める突き取り漁の古式捕鯨基地がありました。
江戸時代を通じて捕鯨の里として栄えた勝山は、房総捕鯨発祥の地といわれています。
展望台のある大黒山中腹には、房総捕鯨の祖、醍醐新兵衛定明(初代)の墓があります。

大ボッケ・小ボッケ
浮島
名称 浮島/うきしま
所在地 千葉県安房郡鋸南町勝山地先
関連HP 鋸南町公式ホームページ
問い合わせ 菱川師宣記念館 TEL:0470-55-4061
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

高家神社

南房総市の千倉にある神社で、「料理の祖神」であるといわれる磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)を祀る神社として料理関係者や味噌醤油醸造業者などから崇敬されています。「料理の祖神」を祀り、包丁式で有名『日本書紀』と『高橋氏文』(たかはしうじぶ

大黒山展望台

千葉県安房郡鋸南町勝山、石橋山の合戦で安房に逃れた源頼朝が、真鶴半島から上陸したのが、勝山海岸。磯や入江が入り組んだ変化に富んだ海岸だ。その勝山海岸の南、標高75mの小高い丘の上にあるのが大黒山展望台。かなり急な道を10分ほど歩いて登るしか

東京湾の奇勝・大ボッケとは!?

関東周辺に住んでいても大ボッケという名を耳にしたことのあるひとはまずいないでしょう。阿寒湖の湖畔にある泥地獄もボッケという名ですが、東京湾の大ボッケは、南房総(千葉県安房郡鋸南町)、勝山海岸沖1.1kmにある島。大ボッケ、小ボッケと呼ばれ

 

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