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手向山公園

手向山公園

関門海峡、赤坂海岸を眼下にする標高76mの手向山を中心に、シイやタブなどの自然林で構成される北九州市小倉北区にある自然公園、手向山公園(たむけやまこうえん)。宮本武蔵と佐々木小次郎の碑が決戦の行なわれた小倉藩領・巌流島を望む場所で、「小倉碑文」(天仰実相円満 兵法逝去不絶)として有名な宮本武蔵の顕彰碑も立っています。

武蔵の子・宮本伊織が建立した顕彰碑も立っています

宮本武蔵の顕彰碑

巌流島を望む手向山(当時は、田向山)、江戸時代には、代々小倉藩の家老だった宮本家が、藩主から拝領した地だったのです。
日清戦争直前の明治20年代には、帝国陸軍により関門海峡防備のための下関要塞が築かれています。
その砲台の一つとして田向山砲台が築かれ、昭和20年まで一般の立ち入りが禁止されていました(宮本武蔵の顕彰碑も移築されていましたが、戦後、手向山に復元)。

宮本武蔵の碑は、武蔵の養子である小倉藩家老職・宮本伊織(みやもといおり)が武蔵の死後9年目にあたる承応3年(1654年)に立てたもの。
碑文には宮本武蔵の剣歴が記述され、二刀流を生みだす工夫や巌流島の決闘までの様子なども刻まれています。
石碑は、幕末に歌川広重(2代目)の『諸国名所百景』にも描かれる豊前名所となっています。
巌流島の決闘があったとされる4月13日に近い日曜日に毎年、碑前で、『武蔵・小次郎まつり』が行なわれています。

宮本伊織は武蔵の推挙で播磨国明石藩主時代の小笠原忠真の近習(身の回りの世話をする秘書的な存在)に出仕。
20歳で家老に昇進しています。
小笠原忠真の小倉移封時には2500石取りに出世。
武蔵とともに島原の乱の平定軍に侍大将として参戦し、戦功により1500石加増、筆頭家老となっているのです。
手向山公園の入口には宮本家代々の墓所も残され(当初は手向山の武蔵顕彰碑横にありましたが砲台建設時に移されています)、福智町の常立寺は、武蔵が道場を開いた地と伝えられています。

公園内に立つ佐々木小次郎碑は、作家・村上元三が新聞小説『佐々木小次郎』の連載完了を記念して昭和27年に立てたもの。
村上氏が詠んだ「小次郎の眉凉けれつばくらめ」が刻まれています。

田向山砲台の砲台跡
手向山公園
名称 手向山公園/たむけやまこうえん
所在地 福岡県北九州市小倉北区赤坂4
関連HP 北九州市公式ホームページ
電車・バスで JR小倉駅から西鉄バス門司方面行きで10分、手向山下車、すぐ
ドライブで 北九州都市高速富野ランプから約2.5km
駐車場 25台/無料
問い合わせ 北九州市公園管理課 TEL:093-582-2464/FAX:093-582-0166
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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