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金印公園

志賀島(しかのしま/福岡市東区)の南西、博多湾を望む絶好の展望地である叶崎に整備された公園が金印公園で、歴史上の大発見といわれる「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)の金印(漢委奴國王印/国宝)の発見場所。有名な金印は1784(天明4)年、百姓・甚兵衛が溝の修復をしていた時に発見したもの。

なぜ金印がここで見つかったかは謎

『後漢書』によると、57(建武中元2)年に光武帝(こうぶてい/紀元前6年〜57年)が倭奴国王に贈ったものと推定されています。

『後漢書』倭伝(かでん)に「倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」(倭国は奴隷160人を朝貢し、光武帝からは印綬を賜った)と記されているのです(委奴=伊都国とするなど、印文の解釈には諸説あります)。

当時、金印は重要な公文書や手紙の封印に使われていたのだとか。
その後金印は福岡藩主黒田家の所蔵となりますが、近年福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館に展示されています。

公園には金印の文字を拡大した碑が立っているので記念撮影や大人の社会科見学の地、親子学習にも絶好。
金印のつまみは蛇がとぐろを巻いた姿で、ひもを通す穴には紫色の綬(ひも)が結ばれていたと推測されています。

ちなみに奴国(なのくに)は、『三国志』魏志倭人伝(3世紀前半)には長官を兕馬觚(じまこ、じばこ)といい、2万戸の家があると記されています。
岡本遺跡のある「奴国の丘歴史公園」(福岡県春日市)が奴国の中心と推定されているので、時間があれば福岡市博物館と「奴国の丘歴史公園」にも寄り道を。

金印公園
名称金印公園/きんいんこうえん
所在地福岡県福岡市東区志賀島古戸
関連HP福岡市公式ホームページ
電車・バスでJR西戸崎駅から西鉄バス国民休暇村行きで14分、金印塚下車、すぐ。または博多港から市営志賀島渡船で28分、志賀島渡船場下船、徒歩20分
ドライブで九州自動車道古賀ICから約23.2km。または、福岡都市高速香椎浜ランプから約16.6km
駐車場10台/無料
問い合わせ福岡市住宅都市局みどり整備課 TEL:092-711-4410
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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