大宰府政庁跡の東、観世音寺との間に位置する水田地帯の小字(こあざ)の名は「学業」で、かつてこのあたりには観世音寺の子院・学業寺があったとされる地。隣接して奈良時代から平安時代にかけての教育機関「大宰府学校院」があったとも推定されていて、国の史跡、さらには日本遺産「大宰府」の構成資産のひとつになっています。
医師や官吏の養成を行なった古代の大学
大宰府学校院は別名「府学(校)」とも呼ばれ、大宰府の官人養成機関。
当時の律令制において、官僚必須の教養・学問であった明経(儒教の古典・経書を学ぶ学科、儒学)をはじめ、明法(律令法学)、医術、算術などの学科を学ぶ場所です。
つまり、中央における官吏養成機関である大学(寮)と、医薬を司る典薬寮をあわせたようなもので、大宰府管内(九州一円)の郡司クラスの子弟が入学を許されたとか。
中央には大学、地方には国学が置かれるのが決まりでしたが、筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後の6ヶ国には国学が置かれず、大宰府学校で学びました。
781(天応元)年の太政官符(中央政府の公文書)には、200人あまりの生徒が学んだとの記録も残されています。
吉備真備(きびのまきび)は唐から帰国後、751(天平勝宝3)年、筑前守(ちくぜんのかみ)となって以降、14年間を九州で過ごし、再度入唐して帰国した後、大宰大弐(だざいのだいに)となって府学校の整備に尽力しています。
古代の律令制度は、こうした学校制度の充実によって維持されたのです。
昭和44年からの調査で、学校院の中央部から平安時代前半と推測される掘立柱建物4軒の跡が発掘され、東辺部に建物跡、南北溝、築地状遺構なども発見されています。
大宰府学校院跡 | |
名称 | 大宰府学校院跡/だざいふがっこういんあと |
所在地 | 福岡県太宰府市観世音寺4-208-4 |
関連HP | 太宰府市公式ホームページ |
電車・バスで | 西鉄五条駅から徒歩13分。都府楼前駅から徒歩16分 |
ドライブで | 九州自動車道太宰府ICから約4.1km |
駐車場 | 大宰府政庁跡駐車場(30台/無料) |
問い合わせ | 太宰府市観光推進課 TEL:092-921-2121/FAX:092-921-1601 |
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