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江戸城本丸に唯一現存する遺構「富士見多聞」は、見学可能!

富士見多聞

江戸城本丸、二の丸、そして三の丸の一部は皇居附属庭園として整備され、皇居東御苑として一般公開されています。本丸には大奥、中奥などの建物があり、徳川幕府の中核、そして将軍のプライベート空間でもありましたが、現存する遺構はわすかに1棟。富士見多聞(ふじみたもん)のみとなっています。

皇居東御苑公開時に入場可能

かつては、江戸城本丸の石垣の上に15棟の多聞櫓(たもんやぐら)が並んでいましたが現存するのは北端に位置する富士見多聞のみ。
多聞とは、武器などを収納する長屋造りの櫓(やぐら)。
蓮池濠沿いの石垣の上に建つのが富士見多聞で、江戸城の西端部に位置することから往時は富士山を眺望し、富士見多聞と名付けられたもの。
蓮池濠から富士見多聞までの石垣は、高さが19mにもなる壮大な石垣で、江戸城本丸の強固な防備態勢を今に伝えています。
この部分だけ、石垣が高いのは、1607年(慶長12年)に家康が築いた「慶長度天守」の天守曲輪の石垣があるからです。

この富士見多聞の存在、そして公開されていることを知らない人が多いのは、国民公園協会が管理し(皇居外苑、京都御苑、新宿御苑を管理)、あまりPRされていないから。
実は2016年11月15日から公開が始まっていますが、これまであまり紹介されてこなかったため、知る人ぞ知る遺構になっているのです。

富士見多聞は、鉄砲や弓矢、文書の保管庫として利用されていたと推測されていますが、建築年代は定かでないため、文化財指定もありません。

明暦の大火で焼失した多聞を万治2年(1659年)頃に再建した可能性があるという説があり、もしそれが正しければ、4代将軍・徳川家綱の時代の貴重な建築物ということになります。

関東大震災で損壊しましたが、その後修理され、さらに昭和43年の解体修理を経て、現在に至ります。
内部は、横31.5m、縦4.9mの広さがあり、江戸時代の太平の世では武具を備える必然性も失われていたことから、別の用途で使われていた可能性もあるとのこと。
それが証拠に襖(ふすま)があった痕跡が残されているのだとか。
「御休息多聞」とも称され、すぐ横に大奥、将軍の居住空間である中奥があったことから、将軍が富士山を眺めてひと息ついた空間だったのかもしれません(本丸御殿中奥の御休憩所の前にあったというだけという可能性も)

富士見多聞を乾通り側から蓮池濠越しに眺める機会は、桜の開花時、そして紅葉時の『皇居乾通り一般公開』の時だけとなっています。

なお、混同しやすい江戸城の櫓に天守の代わりとして使用された三重櫓の富士見櫓がありますが、富士見多聞とは別のものなので注意が必要です。

専門家が、江戸城の素晴らしさを知るきっかけとして絶好と太鼓判を押す、富士見多聞、一度、ぜひ見学を。

江戸城本丸に唯一現存する遺構「富士見多聞」は、見学可能!
名称 富士見多聞(皇居東御苑)/ふじみたもん(こうきょひがしぎょえん)
所在地 東京都千代田区千代田1-1
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ竹橋駅から徒歩10分。東京メトロ大手町駅から13分。JR東京駅から徒歩20分
駐車場 なし/北の丸公園第一駐車場(144台・有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 宮内庁 TEL:03-3213-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

富士見多聞(皇居東御苑)

多聞(たもん)とは城郭の石垣上に建てられた長屋のこと。通常の城壁より防御機能を高めたもので、富士見多聞は江戸城本丸に配された多聞。文字通り富士を眺めました(現在は眺望できません)。江戸城本丸には多聞が随所に築かれていましたが、現存するのは富

 

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