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関ヶ原古戦場・石田三成陣跡(笹尾山)

関ヶ原の北西の方角に位置し伊吹山から派生する尾根の末端に位置する笹尾山。国道21号のバイパスは笹尾山トンネルで通り抜けますが、実はこの笹尾山が関ヶ原の戦いで、西軍総大将・石田三成が陣を構えた一等地。山頂は関ヶ原を一望にできる展望地で、ここを中心に西軍は鶴翼の陣(かくよくのじん)で布陣します。

西軍の総大将・石田三成が笹尾山の頂に築いた陣跡

山麓から見上げる笹尾山

関ヶ原を見渡す笹尾山。
そんな絶好の地を西軍の大将・石田三成が見逃すはずもなく、大垣城を出陣した三成は、笹尾山山頂に陣を構え、200m東に二重の柵(馬防柵・竹矢来)を築き、猛者で知られる島左近を左翼に、蒲生郷舎(がもうさといえ)を右翼に配し、総勢6000の兵で、東軍の黒田長政、細川忠興ら1万3000にも及ぶ大軍を相手に激戦を繰り広げます。

山麓の駐車場から数分で登ることができる山頂には展望台が設置。
関ヶ原合戦の陣形図も置かれ、関ヶ原の合戦最大の激戦地となった笹尾山の前面(決戦地)を眺めることができます。

実は、この笹尾山、石田三成の居城である佐和山城(現・滋賀県彦根市)への街道へも出やすいという地の利があるため、最初から万一を考えていたとする歴史考証家もいるので、攻めと逃げの両方を考えての笹尾山だったのかもしれません。

笹尾山直下で「天下分け目の戦い」が展開

笹尾山から決戦地を眼下に

結果的に、大惨敗を喫して、敗走。
伊吹山の東にある相川山を越えて春日村に逃れ、春日村から新穂峠を迂回して姉川に出て、曲谷を出て七廻り峠から草野谷に入り、さらに小谷山の谷口から高時川の上流に出、古橋村に逃れます。
古橋村(現:長浜市古橋)の岩窟(「石田三成の隠岩窟」)には、石田三成が逃げ込んだという伝承が残されています。
合戦から6日後の9月21日、家康の命令を受けて石田三成を捜索していた田中吉政の追捕隊に捕縛され、10月1日、家康の命により六条河原で斬首。
京・大徳寺の三玄院に葬られています。享年41。

復元された馬防柵

「大一大万大吉」とは!?

石田三成は、陣幕に「大一大万大吉」という合わせ文字紋を使用しています。
石田家の家紋は、九曜紋。
「大一大万大吉」は、源平合戦で、木曾義仲(源義仲)を討ち取った石田次郎為久が使っていた旗印。
「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」というラグビーの精神(One for all, All for one=一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために)にも通じるような考え方です。
しかし、その解釈は後世のもの。
石田三成が使った中世、その後の近世にもそういった解釈はなく(江戸時代には石田三成の考えを肯定的な分析はできませんでした)、本来は「一」を「かつ」と読み、あるいは「大」と「一」を足すと「天」になるともいわれ、単に縁起の良い文字を重ねたものという解釈もできます。

関ヶ原古戦場・石田三成陣跡(笹尾山)
名称関ヶ原古戦場・石田三成陣跡(笹尾山)/せきがはらこせんじょう・いしだみつなりじんあと(ささおやま)
所在地岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原
関連HP関ヶ原観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR関ヶ原駅から徒歩15分
ドライブで名神高速道路関ヶ原ICから約2km
駐車場石田三成陣跡笹尾山駐車場(20台/無料)
問い合わせ関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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