岐阜県大野郡白川村御母衣(みほろ)にある国の重要文化財に指定される合掌造りの「旧遠山家」を再生した資料館が旧遠山家民俗館。白川村(白川郷)の合掌造りといえば世界遺産に登録される荻町合掌造り集落が有名ですが、旧遠山家は嘉永6年(1853年)に建てられた4層建ての大規模な合掌造りです。
白川村屈指の「大家族」制を維持した家
旧遠山家は、白川村(白川郷)では、荻町合掌造り集落の重要文化財和田家と並ぶ代表的な切妻合掌造り家屋。
遠山家は代々御母衣村の名主を務めた家で、近世白川郷の主幹産業だった焰硝(えんしょう=黒色火薬の原料となる硝酸カリウム)産業や養蚕業の発展に大きく寄与しました。
白川郷23ヶ村に3軒しかない「上煮屋」(焰硝の製造販売のとりまとめ役)を務め、養蚕業では蚕種の買い入れや生糸生産の取り締まりなどを務めていたのです。
桁行22.0m、梁間13.3m、能登の大工によって建てられた合掌造りで、1階部分は居住、2〜4層は養蚕スペース。
さらに床下では焔硝づくり(人尿、蚕糞、野草などを材料とし、土壌微生物の働きを利用して焔硝を製造)が明治20年まで行なわれています。
御母衣地区は耕作できる面積が限られるため、分家することがなく、大家族形態で居住していました。
世界遺産の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」には含まれていませんが、数十人の人が暮らした大住居は(明治30代後半のピーク時には40人、大正9年の国勢調査では31人の家族が暮らしていました)、必見の価値があります。
大正時代から昭和初期にかけて盛んに行われた「大家族」制度研究の舞台となった家で、民俗学者・柳田國男、建築史家・藤島亥治郎(ふじしまがいじろう)も見学に訪れています。
また、ナチスの迫害から逃れ、日本で暮らした建築家のブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut)も訪れ、『日本美の再発見』で合掌造りの機能性と美しさを高く評価しています。
戦国時代に起きた天正大地震の山崩れで、一夜にして城下町ともども消滅した幻の城として知られる帰雲城(かえりくもじょう)にも近いので(車で15分ほど)、時間があればあわせて見学を。
旧遠山家民俗館 | |
名称 | 旧遠山家民俗館/きゅうとおやまけみんぞくかん |
所在地 | 岐阜県大野郡白川村御母衣125 |
関連HP | 白川郷観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 東海北陸自動車道白川郷ICから約12km。または、東海北陸自動車道荘川ICから約26km |
駐車場 | あり |
問い合わせ | 旧遠山家民俗館 TEL:05769-5-2062 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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