岐阜県可児市(かにし)、標高277mの古城山の山頂に築かれた中世の山城跡が、美濃金山城(みのかねやまじょう)。続日本100名城に選定されるほか、美濃金山城跡として国の史跡に指定。天文6年(1537年)、尾張侵攻を目論む斎藤道三の命で養子の斎藤正義が築城したのが始まり。
斎藤道三が尾張侵攻を睨んで築城
斎藤道三の政治力もあって、周辺14諸将が築城に協力(築城当初の名は烏峰城)。
山頂に本丸(天守台)、二の丸、三の丸、南腰曲輪、西腰曲輪、天守台北東側に東腰曲輪が連郭式に配されています。
本丸の北隅の天守台には、2重2層塔型の櫓(やぐら)が建ち、本丸中心に城主の居館である本丸御殿を置くという近世的な城郭の様相も呈しています。
政略結婚で斎藤道三の娘・濃姫を正室とした織田信長は、桶狭間の戦いで今川氏を破ると、永禄4年(1561年)、美濃国へ出兵し領有、永禄8年(1565年)、森可成(もりよしなり)を城主として兼山城と改称。
以降、森家の領有する城となりますが(森蘭丸と通称される森成利も城主に)、慶長5年(1600年)、森忠政は13万7000石で川中島藩に入り、城は石川光吉の所有となり、慶長6年(1601年)、犬山城主・小笠原吉次の手で廃城になっています(建物は犬山城の部材に再生)。
国の史跡に指定されるのは、東美濃の中心的山城で、石垣や礎石、瓦を使用した織豊系城郭の特徴(張り巡らされた石垣、瓦屋根の建物があったことを証明する瓦の出土、建物を支える礎石)をよくとどめているから。
さらに破城の痕跡を留める貴重な城跡でもあるのです。
駐車場は出丸にあり、三の丸、二の丸、西腰曲輪、南腰曲輪などを経て本丸まで到達します。
ひたすら登れば30分ほどで本丸ですが、下山を含め探勝には1時間30分ほど必要です。
山麓には「可児市戦国山城ミュージアム」があり、ビジターセンターになっています。
織田・豊臣政権下、東美濃支配における拠点の城
築城時代には尾張信仰を目論む斎藤道三の拠点。
織田家臣の森家の城主時代には、織田信長の美濃攻略の上で信濃への牽制、攻略の中継として重要な位置にあり、豊臣政権下では東濃支配の拠点となっています。
また兼山は中山道、木曽川の交通・流通拠点として重要な場所で、物流を抑えるという役割をも担った城でした。
美濃金山城 | |
名称 | 美濃金山城/みのかねやまじょう |
所在地 | 岐阜県可児市兼山古城山1418 |
関連HP | 可児市公式ホームページ |
電車・バスで | JR可児駅・名鉄新可児駅から東鉄バス花フェスタ公園行きで10分、終点下車すぐ |
ドライブで | 東海環状自動車道可児御嵩ICから約4.5km |
駐車場 | 出丸駐車場(無料)を利用 |
問い合わせ | 可児市文化財課 TEL:0574-62-1111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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