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関ヶ原古戦場・脇坂安治陣跡

関ヶ原古戦場・脇坂安治陣跡

岐阜県不破郡関ケ原町、関ヶ原の南、東名高速道路の南にあるのが、関ヶ原古戦場・脇坂安治陣跡(わきざかやすはるじんあと)。小早川秀秋が陣を置いた松尾山の麓にあり、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保とともに西軍として陣取っていましたが、小早川秀秋の寝返りとともに東軍として大谷隊へ攻撃し、東軍を勝利に導いています。

東軍に寝返って所領を安堵される

脇坂安治は近江(滋賀県)出身で、浅井長政に仕えていましたが、浅井氏滅亡以後は、織田家に属し、明智光秀の与力になっています。
その後、羽柴秀吉の家臣となって活躍、柴田勝家との賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)では「賤ヶ岳の七本槍」のひとりにかぞえられるほどの活躍をみせています。

徳川家康の会津征伐では、次男・脇坂安元は、もともと家康に参陣する途中に石田三成に遮られて大坂に戻っており、しかたなく西軍に与していた状況。
関ヶ原の合戦でも当初から、頃合いを見て東軍にと考えていたのかもしれません。
寝返った諸将の中で、脇坂家は処分を受けずに所領を安堵されているので、家康との間で書簡を交わしており、やむを得ずに西軍になっていたことも配慮されたのだと推測できます(藤堂高虎の仲介もあり、所領安堵となりました)。

その後、伊予大洲藩5万3500石に加増移封され、子孫も幕末まで繁栄しています。
賤ヶ岳の七本槍のなかで、生き残った数少ない家ということに。

岐阜関ケ原古戦場記念館の設定する関ヶ原古戦場散策コースのひとつ「小早川秀秋コース」で通過するポイントになっています。

関ヶ原古戦場・脇坂安治陣跡
名称 関ヶ原古戦場・脇坂安治陣跡/せきがはらこせんじょう・わきさかやすはるじんあと
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町藤下476-1
関連HP 関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR関ヶ原駅から徒歩30分
ドライブで 名神高速道路関ヶ原ICから約3km
問い合わせ 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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