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グリーン車、実は2等車? グリーン車の歴史を振り返る

グリーン車

1等車という言葉を知っているのは、かなりの熟年世代。グリーン車は、国鉄時代の昭和44年5月10日、ダイヤ改正でそれまでの1等車を廃止し、グリーン車に改称したのが始まり。令和6年は、グリーン車誕生55周年となりますが、10月13日から、首都圏で最後となる中央線快速・青梅線にグリーン車連結も始まります。

昭和44年5月10日、東海道線にグリーン車登場!

グリーン車はデッキに立っていてもグリーン料金が必要です

明治5年10月14日、日本初の鉄道が新橋~横浜間で開業した際に、すでに「等級」が設定されていましたが、このときは、上等、中等、下等の3等級。
明治30年に上等、中等、下等は、「下等」の名称が乗客の感情を害するなどの理由で、1等、2等、3等に改称されています。
戦前は、東京駅、上野駅、新宿駅、横浜駅、大宮駅が「1等駅」と呼ばれるなど、駅にもランク付けがされていました。
1等駅は石造り、貴賓室を設けるなど、駅にも格差がありました。

昭和35年7月に1等が廃止され、2等が1等、3等が2等に格上げされます。
当時を知る老人が、「今のグリーン車は2等だ」というのは、そのため。
それでも当時(昭和30年代)の2等は非冷房、1等は冷房化が始まっていたこともあって、庶民のあこがれでした。

3等級制時代の1等車は、サロンのような豪華な内装で、皇族・華族、著名人などはこの1等車を利用しました。

グリーン車が2等車であることは、車体側面のカタカナ記号からも読み取れます。
1等車が「イ」、2等車が「ロ」、3等車が「ハ」、寝台車は「ネ」、今はなくなってしまった食堂車が「シ」、展望車が「テ」が付けられていました。
一等展望車は「イテ」、一等寝台車は「イネ」という具合です。

グリーン車を見ると「ロ」が付いているので、3等級制時代の2等車にあたることがわかります。
また寝台特急でもロネがA寝台、つまりは2等寝台ということに。

グリーン車には、淡緑色の帯と四つ葉のクローバーを模した「グリーンマーク」が付けられましたが、昭和53年から淡緑色の帯が廃止され、「グリーンマーク」のみとなっています。

首都圏の普通列車にグリーン車が登場したのも、2等がグリーン車に代わった昭和44年5月10日。
東海道線・横須賀線の1等車をグリーン車に変更したのが始まりです。
昭和55年10月、横須賀線との直通運転を機に総武線快速にグリーン車を連結。
平成元年3月には東海道線グリーン車に2階建て車両(ダブルデッカー)が登場しています。

平成16年7月に宇都宮線、高崎線に2階建てグリーン車を連結(10月までは普通車として運用)。
10月には湘南新宿ラインにも2階建てグリーン車が導入されています。
さらに平成19年1月に常磐線中距離電車に2階建てグリーン車を連結(3月までは普通車として運用)。

そして令和6年10月13日から中央線快速青梅線に順次2階建てグリーン車が連結され、令和7年春から運用される予定です。

山手線、京浜東北線にグリーン車が連結されることはないでしょうから、首都圏のグリーン車は、これで最後の導入ということに。
そう考えると、1等車(3等級時代の2等車)の歴史を目の当たりにしていることになります。

ちなみに新幹線のファーストクラスと称されるグランクラス(GranClass)は、「上級グリーン車」というカテゴリーですが、かつての1等車といえるかもしれません。
ただし、往年の鉄道ファンのなかには、1等車は3等車(現在の普通車)の3~4倍の値段だったから、グランクラスは2等の範疇と考える人も。

側面にはサロ(運転台もモーターもない2等車=グリーン車)の表示が
グリーン車、実は2等車? グリーン車の歴史を振り返る
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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