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徳冨蘆花記念文学館

徳冨蘆花記念文学館

群馬県渋川市の伊香保温泉にある徳冨蘆花の記念館が徳冨蘆花記念文学館。徳冨蘆花が著した小説『不如帰』(ほととぎす/明治31年〜明治32年、『国民新聞』連載)が大ベストセラーとなり、伊香保ブームが到来、多くの文人が訪れるように。その徳冨蘆花終焉の地、伊香保温泉に建つのがこの文学館です。

徳冨蘆花の創作の軌跡を紹介

「千明仁泉亭」の離れを移築した記念館部分

明治20年代〜30年代、ベルツ博士に見いだされたその効能を石段街の旅館の主人たちがPRし、注目の温泉地となった伊香保温泉。
明治31年、伊香保温泉を訪れた徳冨蘆花(とくとみろか/本名・徳富健次郎)は、この温泉場を気に入り、小説『不如帰(ほととぎす)』の舞台としても登場させます。
徳冨蘆花は晩年を温泉街の老舗「千明仁泉亭」(ちぎらじんせんてい=「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷まげに結いて、草色の紐ひもつけし小紋縮緬の被布を着たり」と『不如帰』の冒頭にも登場)の離れで過ごしていますが、昭和2年、心臓発作で倒れに倒れ、伊香保温泉で療養中、兄・徳冨蘇峰(とくとみそほう)と再会和解したその夜(9月18日)、伊香保温泉「千明仁泉亭」の離れで没しています。

徳冨蘆花終焉の地に建つ徳冨蘆花記念文学館では、土蔵造りの展示館(常設展示室・企画展示室)に『不如帰』の初版本や遺品、蘆花と親交があった永井荷風(ながいかふう)、島崎藤村(しまざきとうそん)などとの書簡なども展示しています。
併設の記念館部分は旅館「千明仁泉亭」の離れを移築し保存したもの。
徳冨蘆花終焉の部屋や女中部屋などが往時のままに残されています。

受付に申し出ればケーキセットが人気の喫茶コーナーのみの利用もOK。

徳冨蘆花が晩年を過ごした粕谷(東京都世田谷区)の自宅跡は、蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん=都立公園)として整備され、生地である熊本県水俣市には水俣市立蘇峰記念館、蘆花も学んだ熊本、大江義塾(おおえぎじゅく)の跡が徳冨記念園として整備され、往時の建物が徳冨旧邸として現存しています。

徳冨蘆花記念文学館
名称 徳冨蘆花記念文学館/とくとみろかきねんぶんがくかん
所在地 群馬県渋川市伊香保町伊香保614-8
関連HP 渋川市公式ホームページ
電車・バスで JR渋川駅から関越交通バス伊香保温泉行きで25分、蘆花記念文学館前下車、すぐ
ドライブで 関越自動車道渋川伊香保ICから約11km
駐車場 70台/有料
問い合わせ 徳富蘆花記念文学館 TEL:0279-72-2237
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

蘆花恒春園

東京都世田谷区にある都立公園が蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)。明治から大正期にかけて活躍した文豪、徳冨盧花(とくとみろか)。武蔵野の自然を愛し、彼が妻・愛子とともに晩年を過ごした旧宅を中心に庭園を整備・保存、昭和13年2月27日に開園した

徳冨蘆花旧宅

東京都世田谷区粕谷1丁目、都立公園の蘆花恒春園(ろかこうしゅうえん)内、「恒春園区域」にあるのが、徳冨蘆花旧宅。もともと蘆花恒春園は、明治の文豪・徳冨蘆花自身が晩年を過ごした旧宅の寄贈を受け、昭和13年2月27日に開園した公園。「恒春園」と

 

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