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碓氷関所跡

もともとは899(昌泰2)年、刎石山(はねいしやま)の群盗などを取り締まるため碓氷坂(うすひのさか)に設けられた関がルーツ。現在の場所は1616(元和2)年に関東入国の関門として設けられた中山道の関所跡。関所から西の碓氷峠側を幕府が、東を安中藩が守備しました。明治2年に廃止されています。

江戸時代に設けられた中山道の碓氷峠越えの関所

当時から残された門の柱と扉、屋根材の一部と台石を使用して昭和34年に関所の東門を復元。
門の建つ場所は往時には番所があったのだとか。

敷地内には旅人が石に手を付けながら通行手形を差し出した「おじき石」も残されています。

間道として碓氷越えよりやや登りが楽な入山峠越え(現在の碓氷バイパス)や和美峠(現在の上信越自動車道)も利用されましたが、制度的には関所破りとなりました。

1625(寛永2)年には碓氷峠寄りに坂本宿ができますが(中山道69次、17番目の宿)、現在国道18号線旧道となっているのが旧街道坂本宿。

街道は碓氷関所〜坂本宿〜堂峰番所〜刎石坂〜覗(のぞき)〜刎石立場〜座頭ころがし(釜場)〜山中立場(山中茶屋)〜陣馬ヶ原〜人馬施行所〜長坂道〜碓氷峠(熊野神社・熊野皇大神社)〜軽井沢宿(現在の軽井沢銀座=メインストリート)と続きます。

旧信越本線の廃線跡を歩道としたアプトの道の第一隧道(第1号トンネル)の入口に登山道となった旧中山道の登り口があり、少し登ると堂峰番所跡となります。

この旧中山道は全長8.3kmの「旧中山道ハイキングコース」として整備され歩くことも可能。

5月の第2日曜には『碓氷関所まつり』が行なわれ郷土芸能が披露されています。
また侍マラソンの愛称で親しまれる『安政遠足侍マラソン大会』も同日に実施。

安政遠足
安政遠足(あんせいとおあし)は、幕末の1855(安政2)年、安中藩主・板倉勝明(いたくらかつあきら)が藩士の鍛錬のため、藩士96人を5月から6月にかけて16回に分け、安中城門から上信国境の碓氷峠・熊野権現まで、七里あまり(29.17km)の中山道を駆け足で到達させたもの。
峠では熊野権現の神官から力餅などを振る舞われています。
標高差1000m以上という山岳マラソンで、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が立っています。
『安政遠足侍マラソン大会』
碓氷関所跡
名称 碓氷関所跡/うすいせきしょあと
所在地 群馬県安中市松井田町横川573-2
関連HP 安中市公式ホームページ
電車・バスで JR横川駅から徒歩5分
ドライブで 上信越自動車道松井田妙義ICから約4.7km
駐車場 横川駅市営駐車場(20台/無料)
問い合わせ 安中市教育委員会学習の森 TEL:027-382-7622
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

四大関所とは!?

江戸時代、徳川幕府は、「入鉄砲と出女」などを取り締まるため、諸街道に50ヶ所ほどの関所を設置していました。そのなかでも重要な東海道・箱根関所と浜名湖の新居関所、中山道の碓氷関所と木曽路の福島関所(木曽福島関所)が四大関所と称されています。箱

 

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