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太田市立縁切寺満徳寺資料館

太田市立縁切寺満徳寺資料館

江戸時代、世界に2つしかなかったという女性の縁切寺(駆け込み寺)が、群馬県太田市の満徳寺と鎌倉の東慶寺。ともに徳川家ゆかりの尼寺で、満徳寺は、明治維新後、檀家がないために廃寺に。太田市立縁切寺満徳寺資料館は旧境内の一角に建ち、離縁状など縁切寺関係の資料を中心に、歴代将軍の位牌などがを展示。

「縁切厠」で悪縁を水に流そう!

満徳寺の建つ一帯はかつての新田荘得川郷(徳川郷)で、徳川家康(三河松平郷の出身=現在の愛知県豊田市松平町)は得川郷(徳川郷)を徳川氏の先祖・新田氏の故地、つまり徳川氏発祥の地としました。

江戸時代には幕府の庇護を受け繁栄した満徳寺ですが、徳川家の後ろ盾を失った明治維新で、檀家がないため廃寺に。
現在では、境内周辺が縁切寺満徳寺遺跡公園として整備され、満徳寺の旧本堂などが復元されています。

映像コーナーでは、アニメ「おきよさん縁切りす-徳川満徳寺縁切りの仕組み-」とビデオ「満徳寺の歴史」を放映(声優は市原悦子)。

館内の「縁切厠」(えんきりかわや)は、離縁を祈れば必ず縁が切れたという江戸時代の厠(かわや=トイレ)を現代風に復元したもの。
かつて大坂の持明院、京の清水寺には縁切り・縁結び用の厠が2つ並んでいたといい、それをイメージしたもの。
実際にトイレとして使用はできないが、白の便器が縁切り用、黒の便器が縁結び用として配されており、用意された「縁切札・縁結札」を購入し、そこに相手の名前を記入して流せば、悪縁絶ち、良縁招きを祈願できるのだとか(「縁切札・縁結札」は郵送での取り寄せも可能)。
肥満との縁切り、ギャンブルと縁切り、借金と縁切り・商売繁盛と縁結び、寝たきりと縁切り・ポックリと縁結び、浪人(受験地獄)と縁切り・目指す中学・高校・大学と縁結びなども可能とか。

太田市立縁切寺満徳寺資料館
名称 太田市立縁切寺満徳寺資料館/おおたしりつえんきりでらまんとくじしりょうかん
所在地 群馬県太田市徳川町385-1
関連HP 太田市立縁切寺満徳寺資料館公式ホームページ
電車・バスで 東武世良田駅から徒歩30分。JR深谷駅からタクシーで20分
ドライブで 北関東自動車道伊勢崎ICから約15km、関越自動車道花園ICから約20km、東北自動車道館林ICから約29km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 太田市立縁切寺満徳寺資料館 TEL:0276-52-2276
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

縁切寺満徳寺遺跡公園

群馬県太田市にある縁切寺満徳寺遺跡公園は、江戸時代に縁切寺として機能した満徳寺(廃寺)の境内一帯を遺跡公園としたもの。満徳寺は、鎌倉時代に世良田義季(せらだよしすえ/新田義重の四男で、家康が徳川家の祖としています)が開基、娘の浄念尼(じょう

東慶寺

花の寺としても親しまれる鎌倉にある臨済宗円覚寺派の名刹、東慶寺は、弘安8年(1285年)、北条時宗(ほうじょうときむね)の妻・覚山志道尼(かくざんしどうに)が開山。明治35年までは松ヶ岡御所と呼ばれ、男子禁制の格式高い尼寺でした。「駆込寺」

 

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