群馬県館林市にある『分福茶釜』ゆかりの寺として有名な曹洞宗の寺、茂林寺(もりんじ)。応永33年(1426年)、大林正通(だいりんしょうつう)が創建したと伝わります。本尊は釈迦牟尼仏。寺の北には県指定の天然記念物である茂林寺沼湿原が広がっています。
参道に狸の置物が並ぶ分福茶釜で知られる館林の寺
大林正通は、華叟派(かそうは)の祖、龍泰寺(現・岐阜県関市)開山の華叟正蕚(かそうしょうがく)の法嗣(はつす=師匠の教えを受け継いだ僧)。
応仁2年(1468年)、青柳(あおやぎ)城主・赤井正光が堂宇を整備しています。
黒門(総門)は、赤井正光創建当時のものと伝えられています。
黒門(総門)から赤門(山門)へと続く参道には、21体の狸(たぬき)像が並んでいますが、これは茂林寺が『分福茶釜』ゆかりの寺だから。
本堂には本尊の釈迦牟尼仏像のほか、狸が化けたとされる伝説の「分福茶釜」も安置されています。
境内の聖観音は、上州邑楽郡・高瀬善兵衛(利根川の舟運を一手に握っていた回船問屋「髙瀬」主人)の寄進で、江戸神田鍋町・太田久右衛門の鋳造。
東京浅草・浅草寺境内の二尊仏(浅草大仏)も同じく髙瀬善兵衛寄進、太田久右衛門の鋳造。
ともに江戸初期を代表するすぐれた鋳造仏です。
茂林寺では注目の行事も多く、毎年3月2日には『茂林寺 たぬきのおひな様祭り』、4月上旬~5月下旬に『茂林寺 たぬきのこどもの日』、11月上旬~11月中旬に『館林菊花大会』、12月下旬には『茂林寺たぬきの御身拭い』も開かれています。
『茂林寺の釜』と昔話『分福茶釜』
応永年間(1394年〜1427年)、茂林寺の僧・守鶴の持つ福を分け与える「紫金銅分福茶釜」は、いくら汲んでも湯が尽きないという不思議な釜でした。
実は、守鶴の正体は何千年も生きている狸だったのです。
インドで釈迦の説法を受け、中国を渡って日本へ来て、仏教を広めていたのですが、正体がわかったので、別れの日、守鶴は幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せた後、茂林寺を去ったのでした。
この『茂林寺の釜』伝承が、後に昔話『分福茶釜』へと変化したものだと推測されています。
『分福茶釜』では狸が茶釜に化けたものの、元に戻ることができず、寺から古道具屋に売られた後に正体を明かし、見世物小屋で活躍するという「狸の恩返し」の話。
『分福茶釜』は、いわゆる「狸の恩返し」で、選ばれた人間に神の使いである動物が富を与えるという日本各地に残される動物報恩の説話となっています。
巌谷小波(いわやさざなみ)によって明治25年に『茂林寺の文福茶釜』が出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られるようになったのです。
実は、守鶴の正体は何千年も生きている狸だったのです。
インドで釈迦の説法を受け、中国を渡って日本へ来て、仏教を広めていたのですが、正体がわかったので、別れの日、守鶴は幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せた後、茂林寺を去ったのでした。
この『茂林寺の釜』伝承が、後に昔話『分福茶釜』へと変化したものだと推測されています。
『分福茶釜』では狸が茶釜に化けたものの、元に戻ることができず、寺から古道具屋に売られた後に正体を明かし、見世物小屋で活躍するという「狸の恩返し」の話。
『分福茶釜』は、いわゆる「狸の恩返し」で、選ばれた人間に神の使いである動物が富を与えるという日本各地に残される動物報恩の説話となっています。
巌谷小波(いわやさざなみ)によって明治25年に『茂林寺の文福茶釜』が出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られるようになったのです。
茂林寺 | |
名称 | 茂林寺/もりんじ |
所在地 | 群馬県館林市堀工町1570 |
関連HP | 茂林寺公式ホームページ |
電車・バスで | 東武伊勢崎線茂林寺前駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東北自動車道館林ICから約5.5km |
駐車場 | 茂林寺駐車場/無料 |
問い合わせ | 茂林寺 TEL:0276-72-1514 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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