群馬県伊勢崎市を走るJR両毛線(りょうもうせん)沿いにある古墳がお富士山古墳。墳丘長125mの前方後円墳で、後円部の上には富士山信仰の富士浅間神社が鎮座しています。前方部は、残念ながら明治21年、両毛鉄道(現・両毛線)敷設時に削り取られてしまい現存していません。
伊勢崎市最大の前方後円墳で長持形石棺が出土
お富士山の名は、鎮座する富士浅間神社から(現在も伊勢崎市には富士講の「赤万字講」があるほど、江戸時代〜明治時代には富士山信仰が盛んでした)。
築造年代は出土品などから古墳時代中期の5世紀中頃と推測されています。
最初の調査は富士山信仰が全盛だった江戸時代で、伊勢崎藩の家老・関重嶷(せきしげたか)が著した『発墳暦』(はっぷんれき)、地誌『伊勢崎風土記』に記載があります。
富士浅間神社の横には全長285cm、幅121cm、重さ6.8t、畿内地方の大王墓と同様の形態をもつ砂岩製の長持形石棺(ながもちがたせっかん/群馬県指定重要文化財)が保存されています。
形態や制作技法が畿内の石棺と共通し、畿内の工人が東国へ派遣されて製作したと推測できます。
長持形石棺が出土するのは、全国で数十例ほど。
「王者の石棺」とも称される王墓に特有の棺で、多くは大仙陵古墳(伝・仁徳天皇陵/大阪府堺市)、室宮山古墳(奈良県御所市)、墓山古墳(大阪府羽曳野市)などヤマト政権のあった畿内の古墳で見つかっています。
関東では、お富士山古墳と天神山古墳(群馬県太田市)のみ。
高柳銚子塚古墳(千葉県木更津市)、利根川下流域最大の前方後円墳である三ノ分目大塚山古墳(千葉県香取市)からは長持形石棺に類似する組合式石棺が出土しています。
お富士山古墳出土の長持形石棺のレプリカは、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)にも展示されています。
古墳時代には、大河の東西では、勢力圏が異なり、利根川を挟んで西側の前橋・高崎と、東側の伊勢崎・太田とは、別の豪族が支配していました。
伊勢崎・太田の豪族は、独自のつながりをヤマト王権と有し、その証が長持形石棺なのです。
お富士山古墳 | |
名称 | お富士山古墳/おふじやまこふん |
所在地 | 群馬県伊勢崎市安堀町 |
関連HP | 伊勢崎市公式ホームページ |
ドライブで | 北関東自動車道駒形ICから約4km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 伊勢崎市文化財保護課 TEL:0270-63-3636 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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