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天狗岩用水

天狗岩用水

群馬県前橋市を流れる用水で、国際かんがい排水委員会(ICID)の世界かんがい施設遺産として登録されるのが、天狗岩用水。関ヶ原合戦後の慶長6年(1601年)、総社藩主となった秋元長朝(あきもとながとも)が築いたもので、400年以上も現役であり続ける貴重な用水です。

慶長9年完成の農業用水は、世界かんがい施設遺産に登録!

秋元長朝は、総社に新城を築城し、城下町(総社町)を整備、さらに新田開発や用水路の開削にも尽力しますが、寛永10年(1633年)、子の秋元泰朝(あきもとやすとも)が甲州・谷村藩(現在の都留市)に転封となり(その後、日光東照宮造営の総奉行に)、総社藩は廃藩になっています。

天狗岩用水は、3年の歳月を費やし、慶長9年(1604年)に完成した灌漑用水で、当初は植野堰(うえのぜき)と呼ばれていましたが、取水口の巨岩を取り除く際、天狗が助けてくれたといわれることから植野天狗岩堰(うえのてんぐいいわぜき)、さらに天狗岩用水と呼ばれるようになったのです。

利根川からの取水ですが、藩内で取水すると城下町の方が高台に位置するため、上流の白井藩内に取水口を築く必要がありました。
そのため、高崎藩主で、権力者でもあった井伊直政(いいなおまさ)に仲介を依頼し、ようやく取水工事に取り掛かることができたのです。
当時の総社藩は、わずかに6000石という石高で、工事費の負担が藩財政を圧迫するため、3年間年貢を免除することを条件に農民を動員し、慶長7年(1602年)から工事を行ないました。

取水口の巨岩を取り除く術を教えたのは山伏だといい、岩の周囲に薪を積み重ねて岩を焼き、水を掛けて岩を割ることができたので、山伏は天狗の化身とされたのです(天狗来助の伝説)。
現在もこの天狗を羽階権現(はがいごんげん)として元景寺の境内に祀っています。

天狗岩用水完成後、総社藩は6000石から1万石へと石高が増え、安永5年(1776年)には、農民が元長朝を顕彰し、秋元氏の菩提寺・光巌寺に「力田遺愛碑」(りょくでんいあいのひ)を建立しています。

ちなみに、現在は、利根川坂東大堰取水合口から八幡川との合流地点までを天狗岩用水、
それより下流の烏川への落水口までを滝川と呼んでいます。

世界かんがい施設遺産に登録される群馬県内の用水は、天狗岩用水のほか、雄川堰(甘楽郡甘楽町)、長野堰用水円筒分水工で知られる長野堰用水(高崎市)の3ヶ所です(天狗岩用水はなぜか疏水百選には選定されていません)。

画像協力/前橋観光コンベンション協会

天狗岩用水
名称 天狗岩用水/てんぐいわようすい
所在地 群馬県前橋市総社町総社〜植野
関連HP 前橋観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR群馬総社駅から徒歩5分
ドライブで 関越自動車道駒寄スマートICから約3km
駐車場 利根川総社緑地駐車場などを利用
問い合わせ 前橋観光コンベンション協会 TEL:027-235-2211
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

雄川堰

群馬県甘楽町小幡を流れる雄川堰は、標高1370mの稲含山を水源とする雄川の中流部、厳島地区から取水し、武家屋敷の生活用水にもなった水路。現存する用水は慶応元年(1865年)に築かれたもので、環境省の「名水百選」、農林水産省の「疏水百選」、さ

長野堰用水円筒分水工

一級河川・烏川(からすがわ)の水を頭首工(とうしゅこう=取水堰と取水口)で取水し、高崎市内を縦断して潤す長野堰用水路(「疏水百選」に選定)。取水口から8.6km下流の円筒分水施設(円筒分水工)が長野堰用水円筒分水工で、ここで倉賀野堰、矢中堰

 

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