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簗瀬二子塚古墳

簗瀬二子塚古墳

群馬県安中市簗瀬にある国の史跡に指定される前方後円墳が、簗瀬二子塚古墳(やなせふたごづかこふん)。墳丘長80m、古墳時代後期の6世紀初頭の築造で、同時期としては毛野国(けぬのくに)最大級の古墳。一帯は史跡として整備され、見学ができるほか、簗瀬二子塚古墳ガイダンス棟も整備されています。

一帯を支配した有力者の墓には関東最古級の横穴式石室が!

現在の安中市域に初めて出現した大型の前方後円墳。
墳丘は2段築成で、テラスと墳頂部で円筒埴輪列と形象埴輪が確認され、斜面には碓氷川周辺の礫岩(安山岩)を使った葺石が配されていたことがわかっています。
また内濠、外周溝も築かれ、周溝を含む古墳全体では全長130mという巨大な古墳です。

埋葬施設は後円部に南を向いて両袖式の横穴式石室が設置されていますが、竪穴式から横穴式へと移り変わった最初期のもので(関東地方では最古級の横穴式石室)、学術的にも注目され、国の史跡になっています。
石室は11.54m、壁にはベンガラ(赤色顔料)が塗られています。

明治天皇北陸巡幸に合わせて、県内各地の古跡調べが行なわれたことを背景に、明治12年3月4日に土地所有者・小森谷樹造が石室の開封を実施(地主の手による開封とはいえ学術調査的な手順を踏んで行なわれています)、さらに昭和43年には岩宿遺跡(群馬県みどり市)の発掘を手掛けた明治大学・大塚初重(おおつかはつしげ)が石室の実測を行なっています。
平成7年から安中市による発掘調査が行なわれ、装身具、武器・武具、馬具、須恵器などが出土。
明治12年の出土品と合わせた1240点は安中市の有形文化財に指定され、「安中市学習の森ふるさと学習館」に収蔵展示されています。

併設される簗瀬二子塚古墳ガイダンス棟では、非公開の石室内部をリアルな3D映像で再現、古墳の発掘の様子も紹介しているので、ぜひ見学を。

古墳の南西側の簗瀬八幡平の首塚(やなせはちまんだいらのくびづか)は、6世紀の円墳で、戦国時代に合戦の戦没者150人分の頭骨を埋葬したことから首塚と呼ばれています。
永禄4年(1561年)、武田信玄がこの付近に八幡平陣城を築き、安中城と松井田城の間を分断、上杉氏に対抗しているので、その時の戦跡といえるでしょう。

群馬県内に築かれた6世紀初頭の前方後円墳で、初期の横穴式石室を有するのは、前橋市の前二子古墳(まえふたごこふん/墳丘長94m)、王山古墳(おうやまこふん/墳丘長75.6m/総社古墳群)が知られています。
横穴式石室は畿内のヤマト王権で取り入れられた新しい葬制であるため、東国の豪族がヤマト王権との密接な関係を有し始めたことがよくわかる貴重な例になっています。

ちなみに安中市は、古代に畿内と東国を結ぶ東山道(軽井沢から入山峠を越え、安中に/近世の中山道)が通っていたため、畿内からの文化の流入口にもなっていました。
そのため大陸から伝来した横穴式石室(もともと朝鮮半島北部で発達)も、いち早く伝わり、簗瀬二子塚古墳に取り入れられたのだと推測できます。

画像協力/安中市

簗瀬二子塚古墳
名称 簗瀬二子塚古墳/やなせふたごづかこふん
所在地 群馬県安中市簗瀬八幡平
電車・バスで JR磯部駅から徒歩30分
ドライブで 上信越自動車道松井田妙義ICから約10km
駐車場 簗瀬二子塚古墳ガイダンス棟駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

前二子古墳

群馬県前橋市の赤城山南麓の古墳密集地帯、城南地区にある大室古墳群(国の史跡)のひとつが前二子古墳。墳丘長94m(全長148m)の前方後円墳で、石室も公開されています。しかも前二子古墳は、明治13年、日本で最初に西洋の科学的な方法を用いて調査

王山古墳

群馬県前橋市大渡町(おおわたりまち)にある総社古墳群の1基が、王山古墳(おうやまこふん)。墳丘長75.6mの前方後円墳で、埋葬施設として全長16.37mという長さを誇る横穴式石室が備わっています。横穴式石室を有する古墳としては東日本ではもっ

 

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