群馬県吾妻郡嬬恋村干俣、破風岳(1999m)の東、群馬・長野県境の毛無峠の南西に位置するのが、小串硫黄鉱山跡。日本最高所の温泉街といわれる万座温泉の南西にあり、万座温泉と長野県高山村側から毛無峠まで車道が通じています。かつてこの地には2100人が暮らした鉱山町がありました。
標高1600mに2100人が暮らした鉱山町があった!
小串硫黄鉱山(小串鉱山)は、火薬などに使う硫黄需要の高まり、大正12年に小串鉱床の発見を受け、昭和4年に北海道硫黄(三井系)が硫黄採掘を開始(それ以前は大正5年から長野県側で大日本硫黄高井鉱山として採掘が行なわれていました)。
昭和12年11月11日には大規模な斜面の崩壊(山津波)により、鉱山事務所、精錬所、配給所、荷造場、嬬恋村立西尋常小学校小串分教場(昭和9年開校)、350戸(社宅70棟)の鉱山住宅が土砂にのまれ、嬬恋小学校小串分教場の校庭で遊ぶ児童50人を含む245人が亡くなっています(坑口付近で難を逃れた作業員が嬬恋村役場まで素足でたどりつき災害を通報、群馬県最大の土砂災害です)。
それでも昭和13年3月には採掘を再開し、昭和48年に閉山になるまで採掘、精錬を続けました。
昭和25年に初めて年間生産量が1万tを突破、「黄色いダイヤ」の名でのブームを背景に、昭和28年には須坂〜万座に長野電鉄が定期バスを運行開始。
昭和32年代の最盛期には年間2万3000tもの硫黄を産出、標高1600mに2100人が住む鉱山都市があったのです。
その後、石油精製過程から生産される回収硫黄の誕生、硫黄需要の減少で、昭和46年には閉山となっています。
スキー場のリフトの鉄塔のようなものが並んでいますが、これは長野県側の高山村とを結んだ物資運搬用の索道の跡で、精錬された硫黄は樋沢の中継所でトラックに積替え、須坂駅へと搬出していました。
現存する遺構には、変電所跡と索道の柱、245名の菩提を弔う地蔵堂と六千尺地蔵尊(小串地蔵尊/昭和13年8月13日建立)、慰霊碑などがあります。
昭和28年10月には毛無峠の下を貫く毛無隧道(1332m)が開通していますが、廃鉱後は使われていません。
毛無峠から小串硫黄鉱山跡へと続く車道も崩落が進み、毛無峠から先は立入禁止になってるので、毛無峠から眺めるだけにとどめておきましょう。
小串硫黄鉱山跡 | |
名称 | 小串硫黄鉱山跡/おぐしいおうこうざんあと |
所在地 | 群馬県吾妻郡嬬恋村干俣 |
ドライブで | 上信越自動車道須坂長野東ICから約32km |
駐車場 | 毛無峠駐車場(20台/無料)を利用 |
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